新聖園(みその)老人ホーム落成
阿久根の聖園(みその)老人ホームが遂に完成!9:00から感謝のミサ。入所者の引っ越しはまだなので、数名の職員と司祭が10名ほどに、地元や近隣のシスターや信者が30名ほど。
旧ホームは9月には解体されることになっているという。これまで築き上げてきた人々には申し訳ない気持ちでいっぱいだという園長さんの言葉には真実味があった。確かに、当時にしてみればすばらしい施設だったに違いない。精いっぱい努力と苦労を重ねた先人たちにしてみれば、自分たちの歴史そのもの。そういうことを思うと、言葉に詰まるが、時々訪問していた旧ホームは、天井は低く、車いすが離合できない廊下、薄暗く狭い畳の部屋に三名も。住んでいるお年寄りのみなさんには気の毒でならなかった。だから、遂に完成!なのだ。
それに比べて新しいホームは別天地。広い廊下にベッドの個室。部屋のノブには各自の手作りフォトフレームが。洗面とトイレはお隣と共有。個室といっても、入口は一つなのでオープンな感じ。板張りの中庭は植込みのあるしゃれた小さな通りのよう。ベンチを置き、パラソルを広げてコーヒータイム。そんなイメージが似合う。鹿児島教区の第一号ホームなので、ザビエル様にちなんで真ん中にザビエル様の御像を置いてザビエル通りと呼びたいとは園長さんのご意向だ。
祝賀式典のオープニングは地元コーラス隊のハレルヤ。見事なハーモニーだった。
場所を変えての祝賀会も終始和やかで、阿久根の副市長さんを始め、かつての経営母体のシスターや新ホームの設立に深くかかわってくださったという地元県議や国会議員も出席。何よりも嬉しかったのは、皆さんが口をそろえて言われたのが園長さんの熱心さと人柄に共感したということ。共感こそ成功のしるしであり、共感こそ教会が世に対して求められていることだからだ。聖園老人ホームから教会の新しい姿が始まる。シスターたちの上手な日本語の歌も嬉しかった。ウーロン茶のハナを上げたら喜んでくれた。
めでたい日にそぐわない感じもするが、気になることがある。「待機児童ゼロ」という声は聞くが、「待機要介護者ゼロ」という声は聞かない。老人ホームに入りたくても何年も待たないといけない、と聞いたものだ。もっとも最近では、いろいろな施設ができたので、待つ必要がなくなったのかもしれない。孤独死が後を絶たないのは別の問題なのか。
めでたい日に愚痴っぽくなったが、多くの苦労を重ねて、人生の終末を迎えた人々が、「年を取るのはいいことだ」と笑顔で言える姿こそが本当の福祉国家が目指すことではないかと思うからだ。「本当にご苦労様でした。皆さんのお陰で日本はここまでやって来れました。これからは、どうぞゆっくり好きなことなさってください」と国が言ってくれるような日は来ない?ちなみに、福祉という漢字には、「神が恵みで満たすために立ち止まる」という意味があるとか。
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