日本初の列福式
今日24日はベトナムの殉教者の記念日でもある。読書課の朗読は、そのうちの一人から神学生にあてた手紙。
「キリストは私の戦いを眺めておられるだけではなく、ご自身が戦い、勝利を得、すべての戦いをまっとうしてくださいます。それゆえ、キリストの頭上にこそ勝利の冠が置かれ、その肢体となっている人々はこの勝利の栄光にあずかっています。」殉教の霊性というのがあるとすればそういうことだったのだと納得。もっとも、自信はないが。それだけに、日々の「無血の殉教」を大事にしたい。
教皇は昨日、日曜日ごとに行われる恒例のお告げの祈りの中で、今日の列福式に向けてのメッセージを送られたという。「・・・日本の私たちの兄弟姉妹とともに前もって喜ぼうではありませんか。この兄弟姉妹たちは明日、長崎で尊敬すべき神の僕ペトロカスイ岐部と187同志殉教者の列福式を行うからです。・・・」
その列福式が終わった。あいにくの雨模様が陽もさすような天気になりみな歓喜。しかし、開式直前再び雨。司教団も祭服姿の上から合羽着用。まもなく小降りから中止へ。合羽は脱いで持参。ぬれた座席にしいた。途中から再び陽のさす天気が回復し、結局雨に打たれることもなく3時間半に及ぶ日本教会の一大イベントはつつがなく終了した。188名中信者が183名。司祭4、修道者1。溝部司教さんがお礼の言葉で話されたように「日本の教会の活性化を目指した」という意味が分かるようだ。
3万人もの信者が集ったのは80年の教皇来日以来。韓国、ベトナム、台湾それにインドの代表司教も参列。たくさんのお坊さんたちの参列にも驚いた。
驚いたといえば、開式前会場に足を運んだ。鹿児島の信者や知った人に会えると思ったからだ。案の定いろんな人と会えた。鹿児島の席にはすでに大勢が陣取っていた。よそで会うとまるで何十年ぶりかの再会のような熱烈握手握手・・・。いやそれはどうでもいい。あちこちに長い行列。許しの秘蹟の順番を待っていたのだ!見ると、少し離れた先のほうに身をかがめた司祭と信者の姿が。想定もしていなかった自分を恥じた。
それにしても、これだけの大きな集まりを運営するためにどれほどの時間と労力を費やしたことか。地元長崎の人々の苦労は想像に余る。数百名にも上ると思われるボランティアの皆さんにも心からご苦労様を言いたい。220名の子供たちの奉納行列も圧巻だった。
主司式の白柳枢機卿の説教は力強く、特にメッセージの内容は、尊大な言い方かもしれないが、さすがに日本教会を代表する指導者の風格に満ちたものだった。杖をつく姿からは想像できなかっただけに感激した。お隣の司教さんは思わず小さな拍手を送ったほどだった。
9人の司教が自分の教区の殉教者を紹介するという趣向もよかった。おかげで、我らがレオ税所七右衛門を次のように高らかに?紹介できてうれしかった。「鹿児島教区。レオ税所七右衛門は洗礼を受けるとき、後に待ち受けている厳しい試練について話す司祭にこう答えました。『キリストに救いがあると分かったからには、誰も私をそこから離すことはできません』。レオは受洗からわずか117日目、1608年11月17日、川内平佐の十字路で殉教しました。」
6時半から感謝の宴。
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Re:日本初の列福式
知った方の顔に出会うと嬉しいものですね。
レオ税所七右衛門さんの紹介も良かったです。
「殉教の霊性」「無血の殉教」素敵です。
又ゆっくり学ばしていただきます。
聖体拝領も車椅子の人たちにでしたね。
とてもやさしく素敵に感じられました。
白柳枢機卿様の説教には涙が出ました。
喜びのうちに。