種屋久長崎
とにかくせわしい昨日今日だった。「トッピーではなかったんですか?」15分遅れのロケットに迎えの信者たちは戸惑った上に30分も待ったらしい。ちゃんと連絡しなかったための行き違い。
おかげで、中種子教会でのはじめてのミサも30分遅れの10時半。初めてといっても、正確に言えば1983年、種子島を離れて以来ということで、25年ぶりということになる。いつもはIさん家族三人ともう一人の奥さんの四人だけ。しかし、今日は聖パウロ教会巡礼ミサということで西之表から子供二人を含む10名もかけつけ小さなお御堂がほぼ埋まった。庭にはIさん親子が植えたという赤紫の冬菊が咲き誇り小さい共同体の健在ぶりが伺えて嬉しかった。
また、当時の小学生が二児のお母さんになっていて信仰が次世代にしっかり引き継がれていることは何よりも嬉しく、かつての我が小教区の信者を誇らしく思った。Iさん手作りのアップルケーキやバナナケーキであわただしいお茶の時間の後西之表港へ。ゆっくり話すことができなかったのが心残りだったが、次回はゆっくり時間をとりたい。
2時前には教会に着いた。7時のミサまでにはまだ間がある。2時間ほどゆっくりできたのはありがたかった。ミサには地元信者4人を含む総勢9名。中には今年も東京から参加のSさんも。ミサ後の民宿山ノ瀬での会食は楽しかった。ミサの説教が話題になり、おだてに乗ってカテケジス行脚の提案をしたら「是非!私たちは飢えています」にあわてて「主任司祭の許可を得ないと。」気の早いシスターは手帳を取り出し、言質をとるべくメモ。でまかせに言ったものの実現できたら面白いかもしれない。10時までの制限時間を30分もオーバー。司祭に同伴して月二回宿泊するシスターたちのなじみなだけに寛大。
明けての今日9時からシドッチ祭。上陸300周年記念ということで講演会も計画された。町の年中行事としてすでに26回を数えるという。本来なら教会がすべきことだと思うがホントにありがたい。講演会前の町長さんの挨拶にも感動。「これまであまり力を入れてこなかったことが悔やまれる。日本の文化にこれ程大きな影響を与えた偉大な神父をもっともっと内外にアピールしてこの集いを盛り上げていきたい。」
今年は列福式と重なったので仕方ないとしても来年は教区の大きな活動の一つに組み入れ、シドッチ巡礼を再開したい。講演を最後まで聞けなかったのは残念だったが、S嬢のレンタカーで空港まで送ってもらった。彼女とは二度目の対面だったがアルファーコースの話など聞くことができてよかった。淡々と自らの宣教を語るところにも感心した。
屋久島からの飛行機は珍しく定刻離陸、定刻着。しかし、後のバスは長蛇の列。15分遅れで到着。列車を一つ逃したため長崎着は6時ごろとなりレセプションには何とかセーフ。
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