脈絡をつける
表題の言い方が正確かどうか定かでないが、この言葉がぴったり来る。実は昨日整骨院に行った。電車で二十分。
表題の言い方が正確かどうか定かでないが、この言葉がぴったり来る。実は昨日整骨院に行った。電車で二十分。両手の親指で腰の辺りを触りながら足首や手首に背中とあちこちになにやら白や黒の不思議な文様のついた約一センチ四方のテープを次々と張っていく。初めて体験する治療法だった。違和感は確かに和らいだ。
帰りは歩くことにしたものの、たちまち違和感が戻った。さまざまなことが頭をよぎった。中学生の頃足首の骨の異常で手術を受けたこと。今でも左足に比べて異常に盛り上がっている。もともと無理の聞かない足首だったのかもしれない。これ以上無理して走るどころか歩けなくなっては元も子もない。やはりテニスに戻るべきか。などなど。気持ちはかなりブルー。
そして、二回目の今日。「オヤ、今日は全く別のものが出ている。珍しいナー」独り言をつぶやきながら昨日と同じように腰、足首その他とせわしなげに例の小さなテープを張っていく。「足首をひねってみてください。」驚いたことに、昨日とは明らかに違う。ほぼ九割がた違和感がない。「ここらあたりにほんの少し・・・」「そうですか。昨日とはまったく違いますね。かねて鍛えておられるからですかね・・・」なんだか嬉しくなった。「・・・今度はどうですか?」「あ、全くありません!」
「ところで、これはマグネットですか?」「いやただのテープです。ただ、この文様はですね・・・」説明はよく分からなかったが、要するに、体のエネルギー(とか言れた)の流れがあって、それを正しているとのこと。つまり、脈絡が失せてチグハグになった体の状態を元に戻しているということらしかった。そういえば、あの女性鍼灸師の先生も同じようなことを言われた。
ともあれ、今回も帰りは歩くことに。十分もしたらチクッときた。タクシーにしようか迷ったが歩き続けた。そのうち違和感はほとんど消え、完治するかもしれないとの希望が蘇った。約四十分。部屋に戻ってからも以前のような違和感はなく、収まるべきところに収まった実感大。完治にはもう少し時間がかかると思うが、無理をしなければこのまま正常化するのかもしれない。なぜなら、脈絡が回復したからだ。まだまだ走れる!心が弾んだ。
飛躍するかもしれないが、日曜日の説教を準備しながらふと、脈絡のない信仰というのがあるように思った。あの小さなパンがイエスであること。王であるキリストであることを百パーセント信じている。しかし、その王であるキリストの望どおり愛し合うことのなんと難しいことか。しばしば耳にする教会の中の争いや対立をなんと説明したらいいものか。しかし、もしかしたらそれは、足首の筋違いにも似て、ちょっとした事故なのかも知れないとも思った。脈絡をつけさえすればいいのだからそれほど悲観することはない。もっとも、どんな治療を受ければ脈絡を回復できるものか。脈絡を終始一貫キープしたに違いない殉教者たちが知っているのかもしれない。
24日が教会全体の脈絡回復の始まりとなればいいのだが。
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