時宜にかなって・・・
「洗礼を受けたいと思います。」ME仲間の一人が一大決心をしたらしい。夫婦連れ立ってやってきたのは先月半ば。日曜日のミサは欠かさない、ロザリオの月には毎晩教会でのお祈りを欠かさない、洗礼の資格十分。
司祭からも周りからもお墨付きをもらいながら、長い間、なぜか首を縦に振らなかったナゾの人。この数年、司牧訪問もしてなかったこともあり、喜んで出かけることに。しかし、本人の希望は、「家族だけが見守る中でひっそりと」だったらしい。臨終洗礼でもあるまいに、と公表公開を強く勧めた。
そして、今日のミサ中の洗礼式。名古屋の長男をはじめ、関東、九州で働く三人の息子たちも駆けつけた。「我が家で一人だけ残された」父上の洗礼をどれだけ待ち焦がれていたことか。さらに、宮崎のME仲間二組をはじめ、熊本の修道院からも。
もう一つ印象深かったのは、二十代夫婦の幼児洗礼。周りが、はえぬきのカトリック信者ばかりとなれば、分からないでもないが、幼児洗礼は、なんといっても教会の希望だ。
さらにもう一つ、印象深かったのは、洗礼の恵の永遠性を知らされたような大学生の初聖体。幼児洗礼。しかし、長いこと教会から離れていたらしい。「あるとき、大学近くに教会を発見。自分も洗礼を受けたことを思い出した。あるとき、大学の帰りに、恐る恐る入ってみた。聖櫃の灯りやマリア様の御像、子供の頃と同じ教会の姿に、ふと心が動いた」のかもしれない。そんなことなど聞きたかったが、初対面では尋問になりかねないカモ、と遠慮した。これも、たまの司牧訪問の限界?イヤ、ボクの限界だ。
ともあれ、洗礼にしても、初聖体にしても、待ち続ける神様の忍耐力も然ることながら、思わずコヘレトのあの言葉を口にしたくなる。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(3.1)。
ミサ直後の信徒代表の挨拶には涙が出るほど嬉しかった。「叙階式で頂いたメッセージ:それでも、喜び・・・」。8年近くもなるというのに!
ホールでのパーティーでは、奄美の名物ミキでの乾杯。ボクの好物と知っての計らいかとグスン。心優しい人たちではある。MEのことや宮崎教会移転の話など、思いがけない交流の時がもてたことは、嬉しいハプニング。
お昼のあとで、頂いたミキを韓国人神学生に振舞ったら、「お土産にしたい!」福岡コレジオ(大学に通う神学生の養成機関)主催のファミリーデーがキャンセルになった旨のメール。すっかりそのつもりでいたので、これはガクッのアンハッピーなハプニング。温泉タイムが取れたので良しとしよう。
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