漫談要理
うっすらと雪。9:00の吉野教会ミサへはバスで。8:08、案の定バスはチェーン装着。バリバリと音を立てながら走るさまは道路を鉄の鎖で虐待しているようで身を切られる思いだ。
吉野は標高200mとはいえチェーンなしで走っている乗用車がほとんど。バスには規制が厳しいらしい。ミサ参加者も雪のためかねてより幾分少なめだとか。
小教区への招待をお願いしておいたこともあってミサ後の茶話会ではアントニオとドミンゴはみんなの関心の的。家族のことなど多くの質問にきちんと応答。
1:00来客。6:00に至るまで話が弾み、5:00からは「暖まって帰ってください」と焼酎パーティー漫談。彼曰く。「英語で感謝するはThank。考えるはThink。もともとは同根。」つまり、感謝するという行為と考えるという行為の原義は同じでもともとは感謝。
反論するために考えるのでもなく、相手を凹ますために考えるのでもなく、ましてや反論のために考えるのでもない。ひたすら感謝するために考える。考えるとはもともとそういう意味だった!「アー人はなんと麗しい存在なことか!」
自己弁護のために考え、自己正当化のために考え、不正を正すために考える。それはそれでいいとしよう。しかし、もし、感謝する気持ちがないとしたら「あんたは人間ではない!」と誰かが叫ぶ?Sin(罪)。間にあるのはI。つまり私。そうなんです「私」が中心になるのが罪。なるほど!
漫談要理教育というのがあってもイイカモ。
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