瀬留教会献堂百周年
704名もの人が一堂に会した百周年。瀬留の村あげての準備だったという。瀬留に骨をうずめた唯一のフランス人宣教師ブイジュ神父の墓は村の共同墓地の中にある。
「神父様のお墓を教会境内内に」との声が信者の中から上がったとき「それはできない」と反対したのは未信者たちだったという。師に対する村の人たちの思いが如何に特別のものだったかを物語るエピソードだ。そんな師の時代に建てられた聖堂は戦災に会い、床の抜けた聖堂は子供のころの遊び場だった。しかし、骨組みは地場産の柱に支えられて今なお堅牢そのもの。文化庁から貴重な文化財としての認定も受けている。
そんな教会の百周年。今なおブイジュ神父の薫陶を受けた記憶が語り継がれている村の人々としては静観に耐えない。主任司祭の感謝の言葉にもあったように、祭壇横の松竹梅の生け花からテント設営、当日の炊き出しに至るまで村の人々の献身的な奉仕の申し出が。当日は暖かい吸い物のサービスまでもなされ、心のこもったもてなしが実現したのは主任司祭のリーダーシップによる周到な準備とチームワークの賜物かと。
百周年事業の柱、12.8mの鐘楼は百年も持つという折り紙つき。10:00、祝別の後、侍者の子供たちによって鳴らされる大小二つの鐘の音がまさに「カランコロン」と村中に鳴り響く中、聖堂内外約7百名もの会衆が捧げる入祭の歌とともに司祭団の入場が始まった。緊張した面持ちの大人の侍者たち5名の使命感に燃えた所作が印象的だった。「神に感謝!」最近ミサにもよく行くようになったという従兄弟の元気のいい朗読後の応答が嬉しかった。
ミサ後のパーティーを締めくくる村中の人々による八月踊り(豊年祭の踊り)こそ村の人たちが存在感を最もアピールするとき。そろいの浴衣に身を包んだ女性、男性両者間でなされるリズミカルな掛け合いと独特な島歌の節回し。そして、女性たちによって打ち鳴らされる単調な音色の小太鼓の音。複雑な足の運びにはついていけない踊りも多いが、「血が騒ぐ」のだ。島育ちのルーツを実感するとき。
前日までの嵐がうそのような好天に参加者一同「神の恵み」と異口同音。町長さんもミサから最後まで臨席され、文化財指定を喜び、「私たちの誇り」と挨拶を結ばれた。
百周年にふさわしいお祝いだったと思う。
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