物を探す人の保護の聖人
物を探す人の聖人?耳にしたことがあると思う。そうだ、あのアントニオ様のことだ。
物忘れに物探し。よくあることだ。そんなとき、「アントニオ様、アントニオ様…」とつぶやくだけでいい。すると、たちまち、あら不思議。たとえ、二日後に見つかったからといって、ボクの場合、「アントニオ様ありがとう」。試す価値がる。どうしても見つからない場合は、「なくてもいいもの」という結論になる。
彼の行くところどこでも、あんまり奇跡がおこものだから「今後は院長の許可なしに奇跡を起こしてはいけない」ことになった。あるとき通りを歩いていると、階上から人が落ちてくるのに遭遇した。「ちょっと待って、院長様に許可がないと助けられない!」駆け出したアントニオが現場に帰ってくると、くだんの人が空中で静止していたという。楽しい話だが、こんなこともあったという。以下、毎月マニラから送られてくるWorld mission6月号より。
三日も食べていない馬が、アントニオが手にしたご聖体を見てひざまずいて礼拝し、目の前に出されたオートムギのエサには目もくれなかったとか、異教徒が差し出した毒入りの食べ物がアントニオの切った十字架のしるしで無害になったなど、枚挙にいとまがない。ついでにもう一つ。一人の高利貸しの葬式で説教を依頼されたアントニオが引用したのは「あなたの富のあるところにあなたの心もあるのだ」(マタイ6.21)。「彼が蓄えた富を身に行ってごらん。心臓がそこにあるはずだから。」半信半疑、親戚や友人たちが、行ってみると、なんと、金貨の中にまだ温かい心臓が転がっていた!
アントニオはその知識の高さと説教家としても名高く、彼の説教を聞いて改心した異教徒は数知れなかったという。創立者であるアシジのフランシスコから、兄弟たちに神学の講義を依頼された最初の会員となった。1231年36歳の若さで亡くなったが、教皇グレゴリ9世は年内での列聖を強く求めたという。1946年教皇ピオ12世によって教会博士の称号を授与された。
最後に、「弁舌さわやか」にまつわる話を一つ。彼の死後、30年たったとき、納骨堂の蓋を開けると遺体はすでに土に帰っていたのに、なんと、その舌だけは無傷で、しかも、生きた赤い色のまま残されていたという。聖ボナベントゥラは「いつも主を賛美した恵まれた舌よ」と言って口づけしたという。この舌は現在パドアの大聖堂に安置されているという。
今日は彼の記念日。見に行きたい?
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