町中がステージ
今日は最後のカテケージスの日。9:30専用の送迎で聖ブリジッド教会へ。十時前についても若者たちはパラパラ。近くの建物をスケッチ。昨日もそうだったが、結構空き時間がある。
こんな風に思いがけない空き時間が取れるのなら、先生が言われたようにスケッチの準備をしてくるべきだった。ともあれ、最後のカテケージスのテーマは「全世界に遣わされた。聖霊を宣教の導き手として。」
- 「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創1,2)。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」(創2,7)。。→生きとし生けるものは神の霊によってしか生かされない。
- 霊の根本的な働きは「いのちを与えること!」それは、自分を与え、人を受け入れ、許すかかわりとしてのいのち。
- いのちの木:「主なる神は東のほうのエデンに園を設け・・・見るからに好ましく、食べるによいものをもたらすあらゆる木を地に生え出でさせ、、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた(創2、9)。命の木は神の愛がみなぎっている象徴。
神の霊によって自分らしく生きるようになった各自の体験の分かち合い。若者らしいかなりあいまいながらも「自分なりに神の呼びかけに答えたい」とのバクゼンとした?熱い思いは伝わった。ミサで祈り合うことを確認して終わった。
1:30、お昼を早々に済まして、司教レベルの十字架の道行き参加のため徒歩でホテルへ。2:30半過ぎ、送迎バスでコンベンションセンターへ。第一留は確かカテドラル。どうしてコンベンションセンター?大スクリーンが設置してある二階に上がるとウェルカムドリンクのサービスにさらに戸惑った。「長時間歩くことになるのでその前に少し腹ごしらえ?」せっかくなら、ワインでケイキ付け。テーブルにはサンドイッチにケーキと軽食まで。スタートの3:00ももうすぐだというのに誰も動く気配がない。グラスが終わる頃、3:00ちょうどに大スクリーンにイエスが登場。カテドラル前での最後の晩餐が始まった。やっと解せた。司教たちは道行きに同行するのではない。コンベンションセンターで居ながらにして全場面をスクリーンで見ることが出来る。殆どの司教が盛装しているのを見ると誰もが、もっと聖なる雰囲気の場に同行することを想定していたに違いない。ボクらは身軽で正解だった。
イエスの受難劇が生身の俳優たちによって演じられるとは言え、いくらなんでも、ワイン片手にとは行かない。一体誰の企画なのか。さすがに司教さんたち。最初の一杯はともかくとして、ワインやサンドイッチに手を出す人はいない。しかも、イエスの最後の場面となり、母マリアがイエスのなきがらを抱く感動的な場面をもって道行が終了し、ライトがともされてセンターが明るくなっても、結局、たくさんのおいしそうなご馳走が手付かずのまま司教さんたちは退席。あまりにもモッタイナイ。日本人の二人だけが、最後まで残り、サンドイッチとグラスに注がれたままのワインを飲み干した。残りはどうするつもりなのか。
それにしても、各通りがホコテンとなり、町中がステージと化した一日だった。「これだけの受難劇は世界初」とは同僚司教さんの評。何度も感動に胸と目が熱くなった。
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Re:町中がステージ
キリストの受難劇、我々人間の根幹に係わる永遠のドラマです。
涙を流さなくなったら心が乾いてしまった証拠でしょう。
いくつになっても涙を流す人間になりたいです。
世界中の若者がこの受難劇に感動し、心の汚れを涙で荒い流すことを祈っています。
今夜から明日に掛けて CLOSHING MASS 何事もなく無事に終了し、大きな
成果を若者の心に残すことを祈っています。
Re:町中がステージ
とってもスケールの大きなものですね!
3時には間に合わなかったけど、お祈りさせていただきました。
前に教会で参加した十字架の道行きは、御絵を見ながら、文章を読むというものでした。
それが、どんなものかも知らずに、声をかけられるまま参加したのだけれど、
途中で、なんだかとてもつらく、胸が苦しくなってしまったのを覚えています。
Re:町中がステージ
とってもスケールの大きなものですね!
3時には間に合わなかったけど、お祈りさせていただきました。
前に教会で参加した十字架の道行きは、御絵を見ながら、文章を読むというものでした。
それが、どんなものかも知らずに、声をかけられるまま参加したのだけれど、
途中で、なんだかとてもつらく、胸が苦しくなってしまったのを覚えています。