祈りが知性を超えた
知的でいつも覚めた見方の知人が変わった。
糖尿の検査に行ったらガンが見つかった。想定外のことに驚いたが、かといって大騒ぎすることなく、帰宅してその旨奥さんに告げた。「あら、そーお」とこれまた穏やか。翌日息子さんと三人で主治医の元へ。家族が詳しい説明を受けた。放置すれば半年。治療して1年。パニックになることもなく家族みんなが現実をしっかり受け止めた。そして入院治療が始まった。
4ヶ月の入院は人生の棚卸。家族とのことや両親のことなど一つ一つつぶさに検証。自分の傲慢さにも気づき友人知人に便りをするゆとりもできた。「お陰さまで心穏やかな毎日です。そのうち会いに行きたい」とあった。打ちのめされたような文面どころか前向きで正直な手紙に感動したのは先月だったか。
今日午後、そんな彼が予告どおりやってきた。血色もよくかつての話しぶりではない穏やかな口調は心身ともに変化したようだった。すでに転移していて末期手前だが元のガンは縮小していて血液の数値も下がっているのだという。「人は何のために祈るのか」(村上和雄著)を思い出して話したら、「医者は治療の結果だといいますが、免疫力ができたということなんでしょうね」と応じた。
話が四散する中で「ボクも行くところは教会。洗礼を受けるには?」ついに究極の質問が飛び出した。早速「カテケジス要約」をプレゼント。仕事一筋、非論理的なことには否定的な無神論者の心を動かしたのは両親の静かな信仰だった。そう実感した。どんな感想を語ってくれるのか再会が楽しみだ。新しい命の予感大。祈りにも気合が入った。
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