神の人は巷に
「人は死なない」(矢作直樹著)神は在るか、魂魄は在るか。新聞の広告で目にした本のタイトルと、帯のことばに目がとまった。日韓司教交流会に行く前のこと。今日その本が届いた。
臨床医としてさまざまな事例に遭遇しながら、思索をめぐらした結果、人間をはじめ宇宙や生きとし生けるものがもつ神秘を解き明かすことなど到底できないという結論に到達。それは科学では説明のつかない摂理のなせる業であって、人はこうした神秘を前にして、古来、創造主の存在や霊魂の存在を認めてきた。
「あることの証明は一例を示せばよいという意味で可能ですが、ないことの証明は不可能に近いと言えます」(196頁)という主張は臨床医として説明のつかない多くの不思議を体験したことからくるもの。さらに「我々の人生の旅は死後も続く、摂理の意思は悠久の生の中で折り合いがつくように働いている」(201頁)と考えないと、不公平と思える現実や矛盾だと感じるようなことの説明が付かない。そういう意味で人は死なない。哲学性の頃、魂の不滅を論証するのに使った論法と全く同じ。
それはともかく、多忙な中で、聖書を始め、諸宗教のあらゆる文献を手にされた著者の情熱にも驚くが、それにもまして、「良心とは人が現世で生きていくための道標となる摂理の声」(200頁)という定義はもう仲間!
見えない世界に目を向けようともせずに、科学万能、見える世界だけの欲望のままに生きる時代にあって、溜め息ばかりが出そうな宗教界に、今回も宗教家でもなく信仰者でもない人からの援護射撃。神様もあの手この手、あの人この人を動員されて大忙し。なかなか元気が出ない日本の教会の現実を見ながら一番働いているのはやっぱり神様ということになる。
一週間ぶりのランは、祇園の洲往復の特別コースで14キロ90分。1月8日の菜の花マラソンは10日の韓国での叙階式のため都合がつかなくなった。2月の櫻島ハーフに宗旨替え。
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