福音の原点に帰る
昨日からボクは行方不明で事務所でも電話の応対に苦慮したらしい。またやってしまった。「今日の予定、事務所にも周知済み」は思い込みだった!
それはともかく、今回のワールドユースデー事務局会議の会場が「セルヴィ・エヴァンジェリー」。「カトリック宣教師の会」となっているが直訳すると「福音の奉仕」。なんと、8年前の2002年創立というから驚く。
頂いた手作りのパンフレットにはこうある。「ドイツ・ミュンスター教区で生まれたカトリック教会の私的キリスト信者の会です。祈りと生きた信仰を伝えることを通して福音を伝えることに専念しています。そして、初代教会と同じ精神で生きるようにお互いに助け合っています。そこから、一人でも多くの方々に慈しみ深い神様を知っていただきたいと思っています。」ドイツに本部があり日本をはじめ世界8カ国で活動している。
「シスターと呼んでいいですか?」きわめて初歩的な質問に「シスターではありません。宣教師です。名前で呼んでください。」なるほど!初代教会とあったが教会の原点は確かに肩書きなしの「名前で呼び合う集団」だったと思う!「そこではもはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者なく男も女もありません」とあるのだから(ガラテア3,28)。つまり、肩書きなしのみんなが名前で呼び合う仲だった。さらに「地上のものを『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父お一人だけだ」(マタイ23,9)と主も強調しておられる。「名前で呼ぶんです。」なるほど!
だから、信者ののなかに元先生がいたら「先生!」と肩書きで呼び、主任司祭を「神父様」と呼ぶ教会の現実はやはり主の思いとは違う。福音を骨抜き?にしながらそれと気づかない自分の現実の前に「名前で呼び合う」セルヴィの皆さんが手を広げて立ちはだかった感じだ。彼女たちはそんな自分と「なあなあ」で生きている教会の現実にとってはまさに福音的というか預言的。
ともあれ、「セルヴィ」の皆さんと話していると福音の原点に引き戻されるような「自由さ」を感じるから不思議だ。肩書きを感じることなく自由に関われる場。これこそ神の国ではないのか。ワールドユースデー事務局会議に行ったのだが彼女たちとの出会いはマンネリ化しかけたボクの霊性に活を入れてくれたボーナス。興味のある方は下記に連絡したら喜ぶと思う。Tel/Fax03-5310-1443
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