種子屋久ミッション(1)
屋久島には、シドッチ祭のお陰で毎年行くが、種子島は2年ぶり。22日7:30の高速船トッピーは台風4号の影響皆無の海上を文字通り、滑るように快走。定刻に出向して9:05、定刻着。
主任司祭の出迎えを受け、10:20の講演会にはゆとりの司祭舘コーヒータイムも。「今大切にしたいこと」-立ち止まっていますか?-。いつもの話の前のいつもの質問とおすすめ。「スマホをお使いの方は?」。半分ほど挙手。「カトリックの施設にかかわる人は聖書の無料ダウンロードを!」強く勧めた。これは、ザアカイさんの話の導入。こうして、手元のiPhoneを開く。すると、スムーズに話に入っていけるのだ。詳細を記す時間はないが、「もっと聞きたかった」との感想があったというから、少なくとも、その人には受けたわけでよしとしよう。
午後、30年ぶりに、子供たちと泳いだ美しい浦田海水浴場へ。この付近は浦島太郎の伝説のあるところで、浦島さんという姓も多い。驚いたのは、シャワールームはもちろんエレベーターまで備えた4階建てのアポロを思わせる三角錐形のモダンな施設。キャンプ中の数組の親子に遭遇。海は相変わらず澄んで鮮やかなブルーが印象的だった。
7:00司祭舘で持ち寄り歓迎夕食会。かつて、たくさんの子供たちでひしめき合った教会学校の部屋も今では、立派なソファーも置かれ、壁には歴代の主任司祭の顔写真がかけられ、アットホームな集いの間に進化。夕食会に同行した5名の子供たちの母親や父親たちは30年前、この部屋で学んだ教会学校の子供たち。しかも、洗礼はまだだが、二人のご主人も同伴。もう一組は奥さんと子供も受洗。食前のお祈りは三歳児のアックン。かなり長いお祈りだったがしっかり覚えていて、一同、思わず傾聴、そして「エラーイ!」保育園、家庭、共同体のチームワークの実り。こうして、信仰が受け継がれていく。小さな共同体だが、教区の誇りだ。
ともあれ、話題はもっぱらその頃のムカシバナシ。楽しくて楽しくて、時間を忘れた。ということは、如何に年寄りになったかということだけなのかもしれないが。そんな中でシドッチ神父の話題も。「列福運動は?教区が考えることでは?」思いがけないご指摘に「ア、イヤ、ソウデスネ、ボクも、殉教者だと思うので教区として始めることにしましょう。」思い付きみたいな返事をしたが、言われるまでもなく、つとに取り掛かるべきことだったかもしれない。24日の司祭会議に出すことにしよう。カタリナ永俊尼の墓参も大事にしようということになり、今年は10月20日(日)に決定、毎年参加する約束も。
こうして、種子屋久行脚の初日が終わった。
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