穴倉の青春
カテケジスが始まった。今日の若者の喜びと苦悩。真っ先に提示された重たいテーマは否が応でも高校時代の自分を思い起こさせた。
それは、穴倉の中にいて、重たいセメントの蓋を両手で押し上げて、外の様子を伺っている、というもの。そんな暗い話から始めることに。
高校の三年間、なに一つ楽しいことはなかったように思う。赤尾木の海岸への遠足、教会の高校生会、確かに、楽しく有意義なことはあった。しかし、何一つとして、身をいれて打ち込んだものは皆無。ミサを欠かしたことはなくても、先が読めないというか、いつもどこか冷めていたように思う。
大学受験といっても実感が湧かないまま、卒業して浪人生活。結局、鹿児島の予備校に行くことにしたものの、勉強への取り組みは相変わらず中途半端。そして迎えた三年目の秋口、「こんなところで、何をグズグズしているんだ!」という声を確かに聞いた!と思った。「そうだ!ボクは神父様になるんだった!」
「大きくなったらこの子は神父様に」という父の夢を自分の夢にしていたものの、受験、受験でいつの間にか、霞んでいたのだった。で、あのコエは、まるで、誰かが、大事な忘れ物を思い出さてくれた時のようで、それは、「すんでのことで、大変なことになるところだった」ほどに、ボクには一大事に響いたものだ。そして、開いていた問題集をパタンと閉めた。
当然、そんな突然の進路変更に家族をはじめ、友人たちはビックリした。周りの反応が大きければ大きいほど、なぜか気持ちはますます固まっていった。それは、「自分の人生を初めて自分んで選んだ」という強い自負の念があったからだ。これまで、家族に、いつも「ハイ」と答えていたお利口な自分がはじめて「ノー!」と言った歴史的?瞬間だったのだ。「もう手放さない!」そんな力みさえあった。
こうして始った神学校生活は、これまで下を向いていた自分を真っ直ぐに前を向いて歩くハツラツとした青春へと変えてくれた。とくに、神学入門は公教要理に毛がはえたようなものだったとはいえ、これまで漠然と受けいれていた自分の信仰の裏付け取るのに十分なものだった。また、高校時代、友人の質問に答えることができなかった屈辱感を払拭するのにも十分過ぎるものだった。少しづつ、信仰の世界が見えてきたことで生きることがとても軽やかになった。
そんな、青春時代の思い出話が、どれだけ若者たちの心に響いたかは知らない。しかし、信者であるということは、まず、自分の信仰の価値に気づき、キリストとの親しみを深化せることで、すべてが始まることになると言いたかったのだが…。
夕方6:00の教皇歓迎式には100万人とも。ともかく凄い人でだった。
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