若者は輝く!
⌈『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう⌋(ヨハネ16,17)。
2日間の会議の最後のセッションはミサ。読まれたのは、イエス様がご自分の受難が近いことを弟子たちに予告された箇所。弟子たちにはチンプンカンプン。 もっとも、イエス様の説得が功を奏して、この章の終わりにはどうにか分かったことになってはいるが、おそらくピントきたとは思われない。分かったような分 からないような・・・。第一、不安が完全に拭われたかどうか。
話は突然変わるが、東京都民が23区に別れて住んでいることに何の違和感も抱かないが、全都 民が一ヶ所に集まる姿は、思い描くことすらできない。昨日も書いたWYDリオ大会参加者の数のことだ。マドリッドの200万人は祭壇上から見渡すことがで きたものの、遠くの人は霞んでしまっていた。その5倍以上もの人が参加するミサとなると祭壇上から見渡すことすらできないのではないか。もっとも、開会式 ミサ会場はコパカバーナというビーチだそうだが、教皇ミサは原っぱ。ブラジルがいかに広大な国土を有しているとい っても 、1100万人もの参加者が一堂に会することができる広さの場所をどうやって確保することができるのだろうか。
誰かがすぐに心配したのはトイレのことだっ たが、そうしたことなどどうクリアできるのだろうか。考えれば考えるほど、不安と混乱は増すばかりだ。運営委員の一人は経験上、「どうにかなるもんです」 と言うのだが、ボクとしては、何となく弟子たちの心境。「はー…!?」
そうは言っても、同伴者としては、それでも、参加の若者たちが、ミサの第一朗読に あったように、コリントで「メシアはイエスである、と力強く証しした」(使徒言行録18,5)パウロのように、想定外の困難に直面しながらも、自分たちの 信仰を深く見直してイエスと出会い、輝いて帰ることができることを信じたい。それが同伴者としての祈り。
できれば、早い時間帯に帰りたい、と思ったので、 ミサを済ますや、そそくさと会館を出た。その甲斐あって、13:40をゲット。「通路側 ?それとも…」と聞かれたので、「空いていたら窓側。富士山が見えるといいなあ」と言ったものだから、「ハイ、空いていますので、右側をお取りしましょ う」ということで、今度もまた、富士山を真上から見ることができた。
ミッションに次ぐミッションの疲れをいやすべく、終礼を失礼して温泉に直行。
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