諸宗教対話事始
今朝、お招きを頂いた立正佼成会鹿児島教会に足を運んだ。1600坪の広大な敷地に堂々とした建物。
先月末に来訪された総務部長さんの笑顔で合掌しながらの歓迎。教会長さんとの再会もすっかり旧知の間柄の雰囲気。今日は300名ほどの信徒が集まるお釈迦様の命日。11月8日の鹿児島教会開設50周年は不在のため今日の訪問となった。本堂に上がり門徒の方と席を同じくするのは、種子島時代いつも訪問していたおばあちゃんの依頼でお寺に案内してあげたとき以来のことだ。
9:00少し過ぎ命日祭がお経の朗誦と共に始まった。まるで韻を踏んだ詩の朗読のようにリズミカルだ。続いて二人の信徒によるミニ説法。信仰体験の分かち合い。感動的なものだった。どんなに辛くても「自分が変われば人も変わる」という「み教え」のままに「笑顔を絶やさずありがとうを忘れなかった」ことによって「わしを巻き込まないで」と拒んでいたご主人もやがて熱心な信徒になられた。生活の中で仏教を生かすのが信条だという。ヤコブの手紙の日本版?行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです(ヤコブ2.17)。
「郡山司教様の講話」も。「開祖様」とパウロ6世との謁見や公会議への招待など、また身近なところではフォコラーレへの参加など、何かとカトリックには縁があるだけに、違和感なく話すことができた。ザビエル様と忍室和尚の対話がなされた鹿児島こそ諸宗教対話発祥の地。「お互いに持ち寄った力のあるみ言葉集を作成して天文館で配りましょう。」拍手が起こったので、そのうち実現するに違いない。
その後の「法座」も興味深いものだった。つまり小グループでの分かち合い。訓練を受けた座主が司会する。こうした集会は毎日開かれていると聞いて驚いた。しかも、毎回150名ほどの参加者があるという。ここで信者が鍛えられる。だから、本堂のことを「道場」と呼ぶ理由が分かったように思った。
話は変わるが、鴨池教会時代に「明るい社会を作る運動」の理事会に数回出席したことがある。各宗教界の代表が名を連ねていた記憶があるがその呼びかけ人が立正佼成会で「あの時はさんざん苦労しました」という方にもお会いしてお互いに驚いた。ともあれ、「先ずは宗教家同士が集まりましょう」という同意は今日の大きな成果だ。
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