金祝と若者と
16日、元主任司祭の金祝のお祝いのため、午後の新幹線で長崎へ。子供の頃から見ていた司祭達はコンベンツアル・フランシスコ会の司祭達。神学校入学試験英作文は司祭館で。
当時の主任司祭が言った。「辞書を使ってもいいからそこで書きなさい。」「私の理想」「司祭になったら、故郷奄美に帰って一人でも多くの人に福音をのべ伝えたい。・・・」そんな意味の作文をしたように思う。主任司祭は、病気療養中のもう一人の司祭と奥の部屋で、碁を打ちながらの試験監督?修道院での前夜祭で50名ほどの兄弟達の前でそんな秘話?を披露したら「オー」どどよめきが起こった。
当日のミサで主任司祭は淡々と説教。「50年が長いかどうかは分らないが、後悔することは多い。しかし、フランシスコの子供として”さあ、今日からまた始めよう”と言いながら歩んできた。これからもそうして歩み続けたい。」かつて憧れたフランシスコ修道会。久しぶりに多くの兄弟修道士たちや若い修練者達に触れて、素朴に単純に生きるフランシスコの精神が脈脈と受け継がれていることに感動した。ルルドに通じる小道の真っ赤なピラカンサスが燃えるフランシスコとの魂のように思われた。
パーティー終了前に退席。6時45分帰着と同時に着替えて青年達との分ち合いの場へ。15分ほど遅れたが、聖堂でのお祈りが終わるところだった。元侍者達が7名。後4,5名は都合がつかなったらしい。片や活動中の若者達ほぼ同数が向き合い、まるで集団お見合い?自己紹介の後、しばし、おやつでの歓談が続く。どんな分ち合いになるかのか。しかし全くの杞憂(きゆう)だった。
「こうして集ってどんな感じ?」分かち合いのベテラン?が話題を変えた。すると、侍者の頃の思い出話に始まり、物心ついた頃の様々な疑念・不信・驚きが怒濤のごとく。当局側の代表達も圧倒されるほどのかしましさ。「実は、ボクも皆さんと全く同じだった・・・」「実はボクも・・・」ヤッと出た当局側の意外な?告白にモト一同安心したようだったが、「そうだったのか」と感嘆にナビカナイところがハンパでない。「実体のないお伽噺を聞いているみたい・・・。」しかし、「ボクは、ある聖書の言葉にこだわっている」というモトもいたりして硬軟手応えのある反応が交流を豊かにした。
定刻を30分もオーバーしての初めてのゴウコン?は携帯番号交換でなごやかに終了。「来月22日にはみんで鍋」の約束を一方的に取り付けてた。「時々こんな集まりを・・・」そうこなくチャッ!モトの一人が別れ際に声をかけてきたのが嬉しかった。次は山で合宿といくか。
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Re:金祝と若者と