韓国教会体験
明けての今日(14日)は5時半起床。6時のミサには約70名。40代前半の若い司祭。説教は原稿を読みながら約十分。棒読みではなく、かなり訓練されたような印象で違和感はなく、要領のいい人のようだった。
仕草も丁寧で、とくにアブルチオ(拝領後にカリスを洗う)は印象に残るほど丁寧に。きちんとカズラ(正式の祭服)を着用している姿は、やはり、好ましい。日本はいつからアルバ(カズラの下に着る白い祭服で白いという意味のラテン語)だけになったのか。たかが祭服というかもしれないが、簡略化が好ましい荘厳さを失ったように思えてならない。
礼服を着ないで婚礼の宴席に臨んだ客が追い出される話(マタイ22.11-14)もあるように、ミサを大事にしているのであれば、略式祭服はいかがなものか。小教区にいた頃は気にならなかったのだが、立場が違い、いろいろの国のミサに与る機会が増えるにつれ、日本の典礼と比較してしまう。正直、見劣りがするのはどうして?女性のベール姿も久しぶりだったが、司祭と同じで、ミサを大切にしていることは普段着でも可能だと思うが、やはり普段でないことにこだわるのが大切かと。しるしを身につける意味を再考する必要があるかもしれない。
奉納の祈りが捧げられると参列者が一斉に立ち上がったので従った。ホスチア(キリストの体となる丸い小さなパン)を入れに行くのかと思いきや、祭壇前の大きな献金籠への献金投入の儀式と分かった。なるほど合理的。ほとんど全員が立ち上がったのはさすが。鹿児島でも参考にしたらいいかもしれない。
11時が本命のミサのようだったので、見学のつもり?で行ったのだが、中座のタイミングがつかめず、最後まで与ることに。いずれのミサも30分以上も前からかなりの人出。全て成り行きで、献金も聖体拝領もダブル。おかげで、聖歌の録音ができたので喜ぶべきか。驚いたのは、いずれのミサでも子供が皆無。若者もいない。座席数4人掛けで縦20=80x4列=320。満席なのにだ。神学校が統合される時が来るという社会学者もいると聞いたが、このことだったのかもしれないと納得。ウーム!主任司祭が聖堂入口に立って信者一人一人に挨拶しながら見送る姿も印象的。話しかけたくもあったが、そのまま帰った。
ホテルに着くと、ガイドさんが、ニコニコしながら近寄ってきた。「私もミサに行きました。」フェリー乗り場でベロニカさんと教えてくれた。ボクは、鹿児島のパウロさん、で別れた。
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