韓国教会悲話
1592年。キリスト教がはじめて韓国にもたらされた年。殉教地切頭山でのガイドさんの説明に思わず顔を上げた。
韓国の人からこの話を直接聞いたのは初めてだったからだ。信者でないガイドさんだから聞けたことで、秘められていたことが突然目の前にあらわにされたような驚きを禁じえなかった。それには少し説明が必要だ。
韓国とのお付き合いは、旧知のME司祭や夫婦が多いこともあり、近いところでは日韓司教交流に神学生と渡韓の機会も多く、親密さを増しつつあり、20年を優に越える。そういうわけで、いつの間にか、韓国カトリックの歴史についても既知のこととして話題に上ることもなくなっていた。それだけに、ガイドさんの説明は期待していなかっただけに、韓国教会の始まりについての関心を再度一気に高めることになった。
話として聞いていたのは、韓国のキリスト教については、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍したキリシタン大名小西行長が司祭を同行させのが始まりで、中国から宣教師が招かれたのが始まりというわけではない、というものだった。
そこで少し調べてみると、彼は従軍司祭であって、韓国人に宣教したわけではなく、いわゆる宣教師ではなかった。したがって、そのことをもって韓国での宣教開始とするには難がある。「もたらされた」という言い方も誤解されやすい。むしろ、「キリスト教が韓国に入った」というほうが正確。しかし、小西行長は現地で養女を迎え、彼女を庇護して教育をほどこした。彼女は養父にならって洗礼を受け、それが、あのおたあ・ジュリア。おたあは日本名でジュリアは洗礼名。韓国で最初の受洗者。話が繋がってきた。
彼女は戦いの集結と共に日本に引き揚げた小西行長と共に国を離れた。このことは、一つの出来事として語られるだけで、その後、キリスト教が韓国で語られることはなかったようである。もっとも、ずいぶん前のことになるが、韓国には豊臣秀吉の子孫と名乗る人々がいるというテレビ番組を見たことがあるが、気になる話しではある。いずれにしろ、韓国教会の始まりは、やはり、あの発祥の地とされる天真庵(チョンジナム)に集った儒学者たちということになる。用事の合間に、半日かけて調べた今日の結論。
蛇足だが、ガイドさんによると、1866年、切頭山で首をはねられた信者は2,000人ということだったが、かつてボクが聞いたのは7,000人。今日出てきた数字は司祭も含めて9,000人。漢江(カンコウ)が血に染まったというほどだからおびただしい数の殉教者が出たことは間違いない。歴史が動くときは悲劇も多い。改めて犠牲になった命の尊さに合掌だ。
調べものをしながら書くブログもはじめてだ。
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