養成プログラム1

鮮やかな色のステンドグラスが目を引いた。 それでも!Blog

祭壇前に奉納された各国の国旗。会期中テーブルに置かれる。いよいよ始まった。少し大袈裟だが、MEアジア会議の初め2日は養成プログラムといって、世界大会で打ち出された活動方針の根幹をなすMEの霊性が示される。それを各国に持ち帰ってME仲間に分かち合う。

今年のテーマは「行ってすべての民を弟子にしなさい」(マタイ28.19)。つまり、MEと福音宣教、ということになる。今回は外から特別講師にきてもらっての研修会形式。78歳の高齢でもパワーポイントを駆使しての講話は熱い。何よりもありがたいのは訛りのないゆっくりとした口調。カリスマ黙想会の指導者としても有名らしい。MEが様変わりしたというよりも、「ここまで来たか!」という驚きの方が大きい。

本論に入ろう。私たちは教会。教会は福音宣教のためにある。それがないなら教会ではない。では、福音宣教とは何か。まず生活による証。対話。他の宗教を尊敬する。そして、宣べ伝える。「教会はまた家庭のためにもある」(福音宣教参照)といわれたのはパウロ6世。

ところで、MEは「私たちは小さな教会」という。教会は弟子の集まりだからMEも弟子の集まり。だが、洗礼を受けただけでは弟子とは言えない。インド人だけあって理路整然とした話しの運び方は哲学時代を思い出した。

さて、マリッジ・エンカウンター(出会い)というが、エンカウンターには多くの意味がある。人や状況と出会う、胎児は母親と出会い、誕生後も母親の匂いやその話しシンボルのMEローソクを囲んで開会の祈り。方と出会っていく。更に、生涯の配偶者となる人との出会いもある。そして、神との出会いがある。イザヤのように神との出会いは回心をもたらす(6.1-6・8)。あれだけ自分を卑下していた彼が「わたしがここにおりますので、私を送ってください」(8節)と答えることができたのは、神と出会ったことで、神への愛と信頼が生まれすべてをなげうつ覚悟ができたということ。

やはり、神学校の霊性の授業。だから今日はここまで。弟子になる話はもっと具体的でみんなに聞かせたい。

 

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