1日空いたが新しい典礼総則の勉強会を書き留めておきたい。お隣潮見教会での司教ミサの実習は、札幌の司教さんがミトラ(儀式用帽子)をかぶり、バクルス(牧杖)持って入堂するところから始まった。入堂の順序についておさらいをしておきたい。
先頭は香炉持ち。香炉には火がつけられ香も焚かれている。十字架のの後ろにはローソク。そして、朗読聖書を奉持した助祭と共同司式の司祭団。司教は一人で最後尾。
司教が祝福しながら入堂することになっているとは知らなかった。しかも、祭壇前でミトラを取り、バクルスを奉仕者に渡してから祭壇に丁寧な一礼。そして、聖櫃にも一礼し、更に祭壇に両手を軽く触れて3回目の礼をして席に着く。共同司式司祭も全員これに倣う。退堂の際も同様。
教区レベルでのミサで果たしてスムーズにいくか疑わしいところだ。ついでに言えば、司祭団の退堂時の様子をあるドイツ人司祭が評して曰く、「牛の群れみたいです。」つまり、秩序に欠けるということだが、確かに終わりになるにつれてんでんバラバラ。何度か注意がなされたにもかかわらず、牛の群れ症候群はいまだに改善されていない。
そうは言っても、司教にとってというか奉仕者にとってというか悩ましいのがミトラの着脱とバクルス。これまでは、入堂と祝福、退堂に限っていたが総則に忠実に従うならタイヘン。
集会祈願後に着座したらミトラ。福音朗読の助祭に祝福を上げたらはずす。「⚪︎⚪︎による福音」で額、唇、胸に十字架の印をしたらバクルス。説教はミトラ・バクルスで、終わったらミトラを外し、バクルスを渡して信仰宣言。しかし、ミトラを被って説教したことはあるがバクルス片手に説教となるとどうしたものか。ともあれ、共同祈願後着座してまたミトラ。つまり、司教は奉納物の受け取りにはいかず、司祭がこれをすることになる。これはラクでいい。
祭壇の準備ができたらミトラを外して奉納の祈りを捧げる。これでやっと一連の着脱が終わり、最後は祝福の時となる。ヤレヤレだ。もっとも、すべて忠実に実行できたらの話しだが…。
国立美術館の予定は明日に順延。
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