熱中症対策?
こまめに水分補給を、というのは良く耳にするが、水分補給はあまりやらない。気をつけようと思う。睡眠中は扇風機を弱い首振りで。だが、熱中症で何人もの人が病院に運ばれて亡くなった人もいると聞けば、さすがに自己過信は控えようと昨晩は冷房を使うことに。6時間後に切る、にセットした。室温28度とセットしたら「省エネ」の文字が出た。新しい発見をしたようで少し嬉しくなって心置きなく床につくことが出来た。「妙に暑苦しいな」と時計を見ると6時間後の午前3時過ぎ。普段は汗ぐっしょりで、5時過ぎには冷めた温泉で一風呂浴びるものだがその必要もなく快適。寝ているときも熱中症になることがあると聞いてはいたが妙に納得した。桜島の灰に悩まされることもない指宿に来てからは、車も窓全開で冷房を使うことはない。今日はこんなどうでも良いことを書くつもりではなかったのだが、もっともいつも他愛ないことばかり書いているのだが、読書を辞めて暑さのこもった2階に上がったらこんなことになった。
刑罰は社会復帰のため
ところで、昨日も取り上げたのだが、教皇フランシスコ訪日講話集「すべての命を守るため」から再度。今回は、帰国の機中で記者団から受けた質問にたいする教皇の答えから。共同通信の記者の質問は、日本では死刑について議論されているのになぜ死刑の問題にひと言も触れなかったのかというものだった。再審を訴えている袴田さんと会わなかったことを巡っての質問。教皇は正直に「その方を存じ上げていませんでした」と答え、首相とは「一般的な問題の一つとして話しました」と述べた後で「死刑は倫理に反し、行ってはならないもの」と国際会議での発言を繰り返された。そして、「刑罰はつねに社会復帰のためのものでなければならない」と明言され、終身刑も同じで、「かならず将来が、社会復帰が必要なのです」と強調されたのが印象的だった。以上本文98-99頁より。日本の政治家はもちろん学者たちもこうした発想が出来るだろうか。哲学のない政治と文化。言い過ぎかな。ともあれ、日本人の大半はおそらく遺族の側に立った気持ちを持っているのではないかと思う。そういうボクも、人間的心情を超えて「死刑廃止」を言えるのは、被害者の家族になったことがないからなのかもしれない、とも思う。子どもを置き去りにして死に至らしめたり、ガソリンをまいて何十人もの人の命を奪ったりする現実に激しい怒りを感じながらも、加害者の思慮のなさが本人だけの問題でもないことを思うと不運な人生に心が痛む。どうしようもない罪の世界を神様はどうご覧になっているのか。「悩める教皇は神の代弁者」であるなら、「悩み多い父なる神にもっと寄り添うことにしよう」と最後はよい子で終わった。暑さが増すような重たい話題になったが、どなたも、酷暑お見舞い申し上げます。
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