十字架の道行考

種子島教会の道行十字架の道行、と聞けば四旬節ということになっているが、降誕節にしたっていいわけだ。そう思ったからというだけでなく、上の方に小さな 字架が掛けてあるだけの白い壁に復活までの15の正方形の綺麗な道行が掛けられたことで、しかも第 1留から始まって十字架上での死の留が 十字架の真下に来るようにしたかったのだがなんとピッタシ。それに、等間隔で左上がりに、つまり、ゴルゴダの丘を登っていくイメージで設置したかったのだが、出来上がってみて我ながら上手くいったと満足したものだから、椅子に腰を下ろして眺めてみたら、各留を辿ってみたくなったワケ。

韓国製かと思ったのだが、同封のお祈りは英語。イギリスの国旗も印刷してあるので英国製らしい。それはともかくとして、「ああ、キリストよ、あなたを礼拝し、賛美いたします。」「あなたは聖なる十字架によって世を贖ってくださいました」という伝統的な祈りが各留の前に繰り返され、聖書の引用句で黙想する形式になっている。

第5留でオヤと思って聖書に当たってみた。これまでの道行の描写はシレネのシモンがイエス様に代わって十字架を担ぐというものだったからだ。祈りもそのようになっていたと思う。しかし、シモンはイエス様の後ろに立ち、十字架を担ぐのではなく抱え上げている。だから、オヤ?

種子島教会聖書を開くと「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」(ルカ 23・26)とある。この「イエスの後ろから運ばせた」ということの解釈が問題。従来だと、身軽になったイエス様が先になって歩いたことになる。英国製によると、イエス様が担いでいる 十字架の後ろの方、つまり、地面に引きずっているところを担ぎ上げたことになる。

どうでもいいことではあるが、ボクとしては後者をとりたい。「日々の十字架を担ぐ」というとき「少しでもイエス様の十字架の重さを軽くできるなら」というのでイエス様の後ろにまわるというイメージが麗しい。英国製はボクにそんなイメージを抱かせた。これだと、今もイエス様は担ぎ続けてくださっていることになるわけで、この方が特別の感慨がわく。

種子島youcatの時間になった。

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