ミャンマーの指導者たちは初めて耳にした教皇が語る福音の言葉をどんなふうに受け止めたのか

見よ兄弟が…

ミャンマー大統領のお出迎え

ミャンマー大統領のお出迎え

教皇フランシスコミャンマー訪問のニュースは新聞テレビで報道されたが、ここでは民間のメディアが報じていない教皇の言葉を紹介したい。先ずヤンゴンの大司教館での諸宗教(プロテスタント、聖公会、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教)の代表者たちとの面談の時のことから。「皆さんが話された時、私たちが良く唱えている詩編の次の言葉が思い浮かびました。『見よ、兄弟が共に座っている。何という恵、なんという喜び』(詩編133)。一つになるというのは同じものになるという意味ではありません。たとえ同じ信条を生きているとしても、一致というのは画一ではありません。一人一人はその人なりの価値と豊かさと足りなさを持つものです。違うことを恐れないでください。」

一致は画一ではない

アウンサンースチー国家顧問と握手

アウンサンースチー国家顧問と握手

135にものぼる人種がいるとされるミャンマーで、ロヒンギャの人々がミャンマーの国民として認知されていない事実が教皇の念頭にはある。しかも、国民の大部分が、ロヒンギャの人々に対して平和と調和を脅かす人々との見方をしているという。教皇と会った宗教指導者の一人が話の中で調和という言葉を三回も口にしたことを受けて教皇は次のように返された。「調和というのは、音楽(オーケストラ?)のように生活の中でも、違いを排除することではなく違いをつなぎ合わせることから生まれるものです。このところ、画一化への流れが世界規模で進んでいますが、それは、人間性殺すことであり文化的な植民化と言えます。私たち信仰する者は創造主を父であると信じるものです。それはどの人も兄弟姉妹であると認めなければならないということを意味しています。ですから、私たちも兄弟姉妹のようにしましょう。もし何か論じることがあるなら、兄弟姉妹のように論じ合いましょう。そうすると、たちまち仲良くなれるでしょう。皆、いつでも兄弟姉妹なのですから。それこそが唯一の平和への道だと思うのです。」(28日配信のYucanewsより私訳)教皇の来訪に応えて、ミャンマーの指導者たちが目覚め、真の和解が実現することを祈るばかりだ。

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