最後の挨拶
旅先で「司教様入院中心不全」の知らせに、京都での休息を取りやめ、急ぎ帰館。しかし、熱い国スリランカで冷房ガンガンの寒すぎる会議場のおかげで鼻かぜにかかり、お見舞いを遠慮していたが、「いいから来てほしい」との電話でマスク姿で駆けつけた。名を名乗ると、「ああ」とこもる声で分かってくださった。「カゼひかないと自慢していたら70になったらすぐに風邪をひくようになりました」とマスク姿を弁解すると、やはりこもるような声で笑われた。これが司教様との最後のやり取りとなった。最後が風邪談義とは情けないが。
自力で潔く
そんなこんなで、落ち着かない毎日だったが、2度目となる11日午後2時訪問の2時間後帰天された。延命治療はしないという姉上シスターの意向を受け、意識がはっきりしていただけに御自分でも納得されたらしい。最終的には自力での呼吸でほぼ1日耐えられた。イエス様の十字架上での死は、両手を水平に広げたままだったので横隔膜が動かなくなったための呼吸不全によるものだったと聞いたことがある。司教様を見ているとそんなイエス様の苦しみと重なった。
十字架の主と共に
苦しそうな姿にもう少し楽にしてあげられないものかと思わないでもなかったが、ご本人としても、十字架の主を思いながら耐えておられたのかもしれない。そう思うとむしろ感動した。それで、みんなでメデタシを唱えることに。心臓が弱っているというので左胸に手を置きながらアヴェマリアを何十回も唱えた。その間、脈拍数は70のまま変わらなかったので、「このまま何日も続いたらタイヘンそう」と思ったのだったが、その2時間後だったと聞いた時はむしろホッとした。唐湊(とそ)の司教館に戻られた時は、当然のことだが、病院とは打って変わって穏やかな寝姿に、十字架のもとでマリア様に抱かれた主の姿と重なって胸が熱くなった。思わず出た言葉は月並みだが「ホントにお疲れさまでした。」文字通りすべてをなし終えられて御父のもとにご帰還された。
文字通り側近
このところ、こうしてブログを書く気分にもなれずにいたが、ようやくその気持が湧いてきた。とくに、12日にザビエル様渡来450周年を記念して献堂されたカテドラルに来られてからは時間の赦す限り側にいることができたので気持ちが少し楽になった。それにしても、こんなに毎日長いこと飽きずに司教様の側にいるのはかつてないこと。今夜7時仮通夜、明日7時本通夜、そして、欠席した臨時司教総会が終わる翌日の16日午後2時葬儀。出棺と納骨は翌日土曜日午前9時。お祈りください。
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