ミニはミニでも福音に信頼して新しい歩みを起こす節目の黙想会

今年の馬小屋は外。これも宣教的発想から。種子島教会ミニ黙想会。テーマは「福音に信頼して歩みを起こせ」。最近またハマりだした「小さくされた人々のための福音」より。テーマはマルコ福音1.15「時は満ち神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」の後半部分の別訳。個人的にはこの新訳に衝撃的な感動を覚えたので両訳を何度も読み比べたほどだ。「悔い改めて福音を信じなさい!」と言われたら、思わず「はい」という返事が反射的に飛び出すカンジだが、「福音に信頼して歩みを起こせ!」と言われると、思わず立ちあがって「エッ、ど、どうすればいいんですか」となる。静止画が動画に変わったというカンジ。

低みに立て

幼児席は親の前。従来の聖書に馴染んでいる者からすれば、「どうしてそんなトンデモナイ訳になるのか」といぶかしく思うところだが、聖書の専門家としての解説には説得力がある。マルコのこの箇所の小見出しは「ユダヤ社会の底辺ガリラヤから福音を告げる」となっていて、訳者の視点は一貫して「底辺」。彼に言わせると、彼の視点というよりもイエス様の視点ということになると思うのだが。ともあれ、「低みからの見直し」が悔い改め(メタノイア)の訳としてはふさわしい。ギリシャ語の忠実な訳にはよればそうなるし、何よりも福音そのものを仔細に眺めるならそういう訳にしかならない、ということのよう。確かに、少なくともペトロは無学文盲。あ、もちろん、信者たちにこんなことを長々と話したわけではないが、眠い話になったようではあった。

我が家で歩みを起こす

教皇が推奨する「どうですか、ありがとう、ごめんなさい」が一番わかりやすかったらしく、「早速実行したい」という反応には驚いた。ホンの味付けのつもりでちょっと引用した教皇の言葉だったが、ヒットしたのでよかった。いずれにしろ、「新しい歩みを起こす」意思表示があったことで、準備不足を否めなかったものの少しホッ。赦しの秘跡を通しても「福音に信頼して新しい歩みを起こす」気配を複数感じたのであとは祈りで後方支援に当たりたい。

小島で歩みを起こす

鑑真和尚もきたという宗教文化の薫り高い屋久島快晴のもと、お隣の兄弟島屋久島がクッキリ。屋久島が気に入った主任司祭は、従来の生活スタイルをすっかり変えたのだという。つまり、屋久島は日曜日のミサに行って帰る巡回教会。いまでは、屋久島での生活が中心になっているらしい。確かに、宣教的視点に立てば、「静の西之表、動の小島(屋久島教会所在地)」ということになるのかもしれない。実際、区長さんをはじめ地域の人々にすっかり受け入れてもらっているので居心地がいいというだけでなく、シドッチ神父様の上陸地としての宣教的意義を感じているからだと思われる。シスターたちは少し不満げだったが、福音に信頼した新しい歩みが屋久島で起ころうとしている。期待しつつ見守りたい。

説教音声

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