WYDは僕にとってなんだったのか(1)、初めてのポーランド滞在から

WYDの大枠

帰国後5日目にしてようやく書く気力が蘇った。画像で記憶をたどりながら、時系列で記してみたい。本大会(7月27日ー31日)は三日間のカテケージスにはじまり、教皇歓迎ミサ、若者と教皇の夕べの祈り、そして閉会ミサと続く。しかし、前後になされる教区の日と大会後の各国独自のプログラムは開催国との濃密な出会いの日々となるもので毎回印象深い。主に、この前後の日々について記したい。

キエルチェ教区へ

空港では聖ファウスチナの大きな肖像画もお出迎え。ところで、福岡―羽田―フランクフルト―クラクフというほぼ12時間のフライトは、機内アニメ「カンフーパンダ」(三部作)をすべて鑑賞してほのぼのフライト。時差は8時間。空港には先についていたポーランド出身の司祭と宣教師が迎えてくれた。日本巡礼団の受け入れ先はキエルチェ教区。バス三台に分乗してそれぞれの小教区に向かった。27日(水)からの本大会までの3日間をここで過ごす。ちなみに本教区は2013年度のバチカンの統計によると、信徒数 768,743 人、全人口は813,525人 なので94.5% がカトリック信者ということになる。303の小教区があり、全司祭729 人中教区司祭669人、修道会60人。司祭1人当たりの信者数は1,054人。修道女352名。

聖ヤドウィガ教会

聖ヤドゥイガ教会

ボクを含めて26名のホームステイ先となる小教区は信徒数2000という小ぶりの聖ヤドウィガ教会。23日の深夜近くそれぞれのホストファミリーに引き取られ、ボク一人だけ司祭館の二階へ。賑やかな話しぶりの主任司祭タデウス神父さんと二年前に赴任した助任司祭のアダムス神父さん、賄の伯母さんの三人が住人。それに愛犬のピノキオ。二人とも60前後と40前後という若さなのに、共産政権下の影響かと思われるが、どちらも全く英語が話せない。さいわい、日本精密機械という会社で働いている人がいてなにかと世話をしてくれたので助かった。

子供たちに話せた!

朗読の合間にひそかにパチリ。

明けての24日は日曜日とあって、早速、通訳付の説教の依頼。ミサは11:30。当日の福音は主の祈りと「求めなさい。そうすれば与えられる」(ルカ11,1-13)というくだり。最前列には子供たちが陣取り、初めて見る東洋の司教さんに興味津々といった風情。その数、20名ほど。早速子供たち相手に質問したりしながら説教を楽しんだ。田舎町のせいか、子供たちの反応は、むしろ鹿児島の方が積極的な感じ。ともあれ、ポーランドで子供たちに説教できるなど想像もしなかっただけにうれしかった。

歓迎会は豪華に

これらは食後に食べるもの。上はサラミ、左奥は手作りウォッカ。ミサ後は信者が経営する立派なレストランで歓迎会とオーナーの結婚40周年、それにポーランドがカトリックの国になって1050年という記念すべき年を祝って盛大なパーティー。夕方、カテドラル訪問。あわただしく一日があっという間に過ぎた。通訳の青年がいなくなった司祭館は、いろいろ聞きたいこともあるが身振り手振りの手話の世界。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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