信徒同伴の病人訪問や在宅者訪問が当たり前の小教区こそ教会本来の姿

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うまくいったがダメだった!

尖塔をオレンジ色にしたいなあ

尖塔をオレンジ色にしたいなあ

今日のミサにはフィリピン人女性4人参加。内3名は山川で畑仕事の技能実習生。30才前半かと。ようやく主の祈りをタガログ語で歌ってもらえた。初めて聞くメロディーだった。ミサ後「30年前の曲なら歌えたのに」と言ったら、代表格のRさん曰く、「この人たちはその後に生まれたから知らない。」個人的には、どこか奄美の民謡にも似たメロディーが気に入っていたのだが、時代に応じた曲が生まれるらしかった。説教の録音はまたも失敗したので、教会ブログの「今日のみことば」に譲ることにした。主の祈りは聞いてほしかったが、容量が小さすぎて手元のアプリでは不向きということでこれも残念。

老老司牧

毎日曜日のミサ後、信徒代表の車に乗りもう一人のご婦人と3人で訪問に出かける。いつの頃から始まった習慣なのかは分からないが、司祭が一人で黙々と病人訪問をしていた頃が蘇り、「これが本当の共同司牧だ」と思うこの頃だ。信徒が司祭と一緒になって弱い立場の信徒を気遣う。麗しい。最後の訪問先の信者は90才。「アタシも80才まではこうして神父様と一緒に訪問する方だった。今はされる方になってしまった」とい述懐されて驚いた。そういえば、今日は所用で同行されなかったが、いつものご婦人も83才。老老介護ならぬ老老司牧だ。

 

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