聖なる口癖

大きなホールには聖母子のご像も。あなたが自然のリズムの中で生きていたら健康的。信仰の求めるところに応じていたら霊的に健康。信仰は、教会として宣教することを求めているので、あなたが福音宣教していたら健康な信者といえる。あなたはどうか?アブラハムは最初の宣教師。アブラハムが宣教師だったとは!

「だからあなた方は行ってすべての民を私の弟子にしなさい」(マタイ28,18–19)。キーワードは“だから”。なぜなら、イエスは”一切の権能を授かっている”から。”行きなさい”という命令だから他の選択肢はない。つまり、行ってもいい、行かなくてもいいというものではない。行かなければならない!

何度招いても答えることがなく、長い間、教会から遠ざかっているひとがいました。私はその人を訪ねました。彼はやはり首を縦に振ることはありませんでした。私は、「そうですか、では、気が向いたら何時でも来てください。神様の祝福がありますように」と言ってにこやかに立ち去りました。外に出ようとすると、「チョット待ってください。教会に行こうと思います」と彼が言いました。「今まであなたのような対応をした人はいませんでした。」皆さん、強制的になったり、神様を呪ったりしてはいけない。どんなことに対しても「神の祝福を!」を口癖にしましょう。停電状態の信仰になってはいけない。そうでないと、キリストの光を灯すことはできません。

今日のお昼は、台湾からの要請で合同会食。同じようなことが誰にでもできるとは思はないが、「神の祝福を!」を口癖に、という提案は真面目に取り組むべきことだと思った。何はともあれ、「初対面はぶっきら棒」と評されるボクとしては人ごとではない。何よりも、ムッ!症候群から抜け出せていない現実を思うと気が重いがどうしたものか。外国では「ガッブレシュユ」と言いやすいのでよく口にするが日本人には…。

あ、ま、とりあえず、心の中で「神の祝福を!」で行くとしよう。

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