旧司教館での新生活は12年余りの恵まれた環境からつつましくも居心地はグー

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引っ越し完了

あらゆる物音から隔絶された空間

あらゆる物音から隔絶された空間

これまでの12年間、町の中心という地の利を得た便利さは自家用車不要のエコ生活。しかし、ここ旧司教館は西南に車で20分弱の小高い丘の登り口。車なしには動きが取れない。大学進学から神学校に進路を変更した21歳の10月から3月までラテン語の特訓を受けて以来となる生活の場。昨日引越しを完了したものの、かつての事務所を改装した部屋だけに押し入れやきちんとしたクローゼットもない。量販店でパイプハンガーニセット購入して祭服類を吊るした。冬物は段ボールに入れて小ぶりの箪笥や引き出し付クローゼットの上に積み上げた。

コンパクトはいい

すべて一望できるのがいい

すべて一望できるのがいい

ベッド横が祈りのコーナー。かつてのパソコン台にかつてのベッドカバーをかけ暇になったマグネットで固定。真ん中に置くはずの十字架がどこかにまぎれて見つからないので、とりあえず、ガリラヤ湖畔での「ヨハネの子シモン、…私を愛しているか」(ヨハネ21,15‐17)というあの問答の場面を置くことに。左手は祭服にズボン、冷蔵庫、テレビ、パソコン。部屋の広さが想像できよう。広い書斎に応接室に寝室、それに専用の小聖堂に物入れ。持ちのものが増えるのも分かる。今回のダンシャリで身軽になったつもりでもまだまだ。ともあれ、このコンパクトさがたまらない。

懐かしの下宿屋と花火と

半かけ花火

半かけ花火

まだ完全ではないが、住環境の見通しが立ったことで軽い夕食の後散歩に出た。50数年前、神学校に進路変更したために引き払うことになった近くの下宿家が懐かしくて、「門を下りきったところで右手に」とおのずとコースは決まった。しばらく行くと2つの谷を挟んだ向こうに純心の大きな講堂が見えてくる。その先の、人一人が通るだけの細道を下りきる少し手前に下宿家はあった。木造二階の大きな家ははレンガをはめ込んだようなどっしりした住宅に代わっていた。5歳年下の一郎君という中学生がいた。50年ぶりの再会で分かろうはずもないのだが、ひょっこり顔でも出してくれないものかと見やったが人気はなくヒッソリしていた。下りきって右奥に向かい、開発の進んだ丘を上へ上へと向かった。百段余りの階段にはじまり、階段に次ぐ階段、合計二百段余りを上がったところで夕涼みの一団に遭遇。7時半から始まる花火を待っているのだという。ちょっと遠すぎる感じもするが、遮るものはなく絶好の場所だ。20分後に同じ場所に帰ったら、さっきよりも人の数が増えていた。半かけのお月さんのようなのが撮れた。下宿屋の向かいの丘を通って帰った。1時間15分の少し長い散歩になった。

 

 

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