信仰の話
“日日是日本語“(にちにちこれにほんご)という本を読んでいる。日本語学者が新聞その他で目にした言葉をめぐって感じたことを日記として記している。文字通り毎日書いているのかとも思うが、日付がそうなっているからきっとそうなのだろうと思う。どうやら、姪が卒業したシスターたちの大学のようで、建学の精神を研修する日もあるらしい。「…シスターのお話だったが、芯の強い信仰のことばで、これまでも、この研修会ではいろいろなキリスト者のことばを聴いてきたが、これまでで最も感銘を受けた」(187頁)とあって、見ず知らずの著者に親しみを感じると同時に、日本語学者が感銘を受けるような信仰の話ができるシスターがいることが嬉しかった。
シスター語る
「現在の世界は、…イエス・キリストの望んだ状態ではないはずだ。そうだとすると、現在を生きる人々は、現状を少しでもよくするための努力をする必要がある」というのがシスターの主張だったようだ。そして、次のように結ばれていた。「イエス・キリストが望んだ状態になっていないことを「つぐなう」というのが「レパラシオン」ということと理解したが、そういう考え方は有効に思われる。」
「感じ」が聞きたい
「有効に思われる」という言い方はいまいちピンとこないが、ME的立場からすれば「それはどんな感じ?」と聞いてみたくなった。教皇訪日のこともとっくに知っているはずだから、この先生もキリスト教に対してもう一歩踏み込みたくなったとすれば嬉しいのだが。「信仰のことばを聴く」というのがその日のタイトルだったが、「聞く」ではなく「聴く」になっているのも、先生の人柄がしのばれて嬉しかった。きっと、傾聴されたのだと思う。
たまり場は鏡池?
御領ケ池に変化。指宿マラソンが近いというので、傾いていた案内板が補強され、視界が開けていて気持ちいい。ただ、草刈り機のエンジン音に驚いたのか、オオバンだけでカモ類は一羽も見当たらなかった。止まり木も空席だらけで常連の姿は見えない。作業中の人の話によると、「鏡池には沢山くる」とのことだった。何となく謎が解けて目の前がパッと明るくなった感じだ。楽しみがまた一つ増えた。
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