突然だが”放蕩息子”がどうしたの?

時言 放蕩息子

外壁塗装完成間近。来週は足場撤去。

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今朝の新聞2面のコラムだ。「え、どうしたの?」思わず記事を直撃した。「新約聖書で知られた話の一つ」とあって、改めて筆者の教養を感じた。そして、嬉しくなった。一般紙に聖書がさらっと紹介されていることが。鹿児島での聖書の認知度がそれなりに高まっているようで何より。

ところで、どうして、放蕩息子?簡単な解説はそれでいいとして、「それで?」と先を急いだ。しかし、出てきたのは首相の目玉政策である「行政のデジタル化」。いよいよ困惑した。ここ数年でデジタル化に費やされた費用は1兆円にも上るとあったものだから、つい主題を忘れて、今度は怒りの声を上げてしまった。「そんな大金を投じているのに、何で韓国に10年もの後れを取っているのか?!」

それに、政府は盛んにカード決済を推奨しているが、その件に関しても同じ。韓国では現金を持ち歩く人はいないと聞いたのは、10年以上も前のことだ。

話を元に戻そう。記事の締めくくりは、「放蕩息子だって最後には反省し、非を認めた」ではないか。だから、「政府もIT政策の失敗を認めてはどうか」というものだった。そして、最後は「国民はこのデジタル放蕩息子にゆるしを与えるべきだろうか。」・・・「大金を消費したから」と分かるまでしばらく時間がかかった。なるほど!でも「ボクは許せない!そのスローさが!」

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