もがき続ける教会にこそ希望があると思うのだが、日本の教会は?

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ラテンアメリカの教会にならってもっと議論を!

非常に興味深い記事が届いたので紹介したい。

「聴く過程を通して、幾つかの主題が特に前面に出てきた。そのうちの最初のものが、シノダルチャーチにとって最も影響力の強い障害の一つである聖職者主義であった。」

各国ではシノドスに向けた準備が着々と進められているようで「日本は大丈夫?」と思わず余計なことを思ってしまう。それはそうと引用の太線部分を見ると、やはりここでも聖職者主義が問題。次の引用を読んでもらいたい。出るベくして出た?女性助祭問題。個人的には賛成。弟子たちのお世話係の女性たちもいたと思われるからだが。

「婦人についても同じことが言える。そのためには教会において婦人が公平な参加参画ができるための広範囲にわたる教会改革が必要である。そもそも教会において活動的なメンバーの大多数は婦人である。どの地域の教会においても婦人が司牧的ケアなどでも献身的に働いているからこそ、教会の存在と活力が保たれている。司祭が働けるのも、その脇に婦人がいて働いてくれているからである。
にもかかわらず、婦人は教会のリーダーシップの位置にはほとんどおらず、限られたメンバーだけがいる。シノダルチャーチにとって家父長制的な精神と権力の偏りを克服することが、たびたび述べられている。つまりジェンダーのうえでの正義を創造し、教会のいろんな領域で婦人がリーダーシップをもって活動できるようにいろんな委員会の構成なども変えるべきである。さらに大胆な意見として、婦人の助祭叙任も含めて奉仕職・職務も再考されるべきである。」

土手で出合ったカニが静かに走り去った

土手で出合ったカニが静かに走り去った

確かに教会の中での女性の存在感は歴然としている。指宿の場合もミサの出席者は圧倒的に女性が多い。男性は多いときで4人かそこらだ。どこの教会でもこのアンバランスは変わらないと思うが。日本の教会でも、もっとこうした踏み込んだ議論がなされてもいいと思うのだが、日本の教会、静かすぎない?

 

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