旅の始まりはアテネから
パウロはアレオパゴスの丘でギリシャ人たちに説教した(使徒言行録17.22-31)後、アテネからコリントに向かったことになっている。私たちの旅もパウロの足跡をたどる形で始まった。
先ずはアテネの町の自由散策
町を行く若い女性たちに思わずぎょっとしたものだ。まるで海水浴のさなかを思わせるような大胆な姿には裸体のギリシャ彫刻が重なった。そして、街の片隅にひっそりとたたずむ人気のない寂しげな正教会の姿になんとなく合点がいった。
合点がいったと言えば、もう一つある。ホテルは町の中心だということだったが、後で聞いたことだが周りは売春宿だらけ。道徳を説いたストア学派もギリシャだというのに。
しかし、店の壁一面に掛けられたおびただしいイコンの店には心が和んだ。「トウキョウ?」とにこやかに声をかけた大柄なおかみさんも感じがよかった。なぜか、正教会の熱心な信者であって欲しいと思った。
アテネは遺跡の町
街を歩けば遺跡にぶつかる。いたるところ遺跡だらけ。遺跡と人々の生活が共存している。遺跡の側に建つ近代建築があるかと思うと道路下には無造作に転がる石柱や植物に覆われたままのものも。
中には唯一屋根付きのまま残っているものある。紀元前5,6世紀と聞いて驚いた。鍛冶屋の神様を祭る神殿だったという。装飾の少ないどっしりしたもので、男性の体の丈夫さを意味するドリスから来ているという。ちなみに、アメリカで一番多い苗字はスミス(鍛冶屋)だという。
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