回想-聖書の世界を行く⑤ガリラヤ篇

ベタニアでの生活から一挙に北上してガリラヤへ

今更ながらの話になるが、ビデオと一緒にカメラも持参したにもかかわらず、フィルムさえも手元に見当たらずベタニアでの生活を画像で紹介できないのが残念。

現地の人々はベタニアと言わずアザリアと呼ぶ。エルサレムには7,8人乗りの大型タクシーで何度も通った。エルサレムにはタクシーのたまり場があって、客引きの人に、「アザリア」というとすぐに教えてくれた。徒歩でも40分ほどだったように思う。

あるときは、もの好きなピーター神父さんに誘われて暗くなってから黄金のドームの夜景を見ようと誘われて暗がりを徒歩で行ったことがある。ボートで恐怖の出べトナムをやっただけあって怖いもの知らず。これも紹介できずに残念。

エンマウスはエルサレムの近くだった

ルカ24.13-33「この日二人の弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながらこのいっさいの出来事について互いに語り合っていた。…」七マイルと言えば約11キロ。十字軍時代に建てられたという朽ちた教会のなかでシスターがまたも熱弁をふるった。

十字軍と言えば、当初、イスラム教とキリスト教は、支配、被支配の関係にあったとはいえきわめて友好的だったらしい。しかし、1009年代になると狂暴な支配者が現れて、多くの教会を破壊しキリストの墓までも壊してしまった。彼の後継者は、彼にも増してイスラム優先を貫くことに。そこで立ち上がったのが教皇ウルバノ二世。十字軍の始まり。1095年のことだ。

しかし、1098年、ファーティマ朝 (シーア派の一派)になったところで、キリスト教との友好政策を打ち出したが、血気に燃えた十字軍を止めることはできなかった。聖地奪還の名のもとに、殺戮を正当化する十字軍によるカトリック暗黒の時代に突入することになったのだった。

横道にそれたのでここまで。

こんな平和を壊したのは十字軍だった

こんな平和を壊したのは十字軍だった

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