頁をめくると大熊の奥深い歴史があらわになり興味は尽きない

話しは明治に遡る

もちろん、大熊の歴史が明治に始まったというのではない。大熊誌本文から引用する。「浦上簡易小学校の分教場が、わが大熊に設置されたのは明治19年のことである」(220頁)。つまり、1886年、つまり138年前ということになる。

当時、向学心に燃えた数名の若者の呼びかけで「夜学会」なるものが結成され、個人宅を転々としながら学びの集いが持たれていたという。大正元年(1912年)、つまり112年前、自らの手で集会所を建設し、学びの場、協議の場として大熊発展に大いに貢献することになったという。

処女会の活躍

男子青年会に触発されるように始まったのが女子青年による処女会。大正8,9年頃だという。105,6年も前のことになる。処女会とはいかにも古き良き時代を思わせる名称だが、彼女たちの活躍の実態は、今日の女性たちにも勝るものだったことに驚かされる。

当時は三方村が誕生したばかりとあって、村内各地の処女会の総会も毎年開催され青年団よりも活発だったという。会議では、一人5分間の演説が課されていて大変盛り上がったらしい。また、年二回の文集発行も企画され、紬を織る合間に創作にも熱心だったという。

こうして、総会は、5分間演説に始まり、詩吟、民謡、劇、合唱、独唱と盛りだくさんの盛況ぶりだったらしい。女性議員の少なさは先進国で最下位だという日本の現実を思うと夢みたい?

当時から勢いよく流れ続ける自然水

当時から勢いよく流れ続ける自然水

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