「司教様のお仕事は大変でしょうね。」先日韓国での叙階式に参加した折り、ベネディクト神父さんの家族との会食に同席していた姉上の友人というご婦人の質問だ。司教叙階の後、しばらくは同じ質問をよくされたものだが、答はいつも同じだった。「40名の助任司祭がいるようなものだから小教区にいた時よりも楽です。」
久しぶりに受けた質問だったが、やはり同じように答えた。すると彼女が一言「ホントの牧者です。」どういう意味でそう言われたのか分からないが…。もし、「司教になってから、毎日がとっても楽しくて」と答えたらどんな言葉が返ってきたのだろうと思う。
実は、昨日、新年会も終わって三々五々家路についた。しばらくすると、さっき「失礼します」と言って帰ったはずのご主人が舞い戻ってきた。車から降りる彼の手には何やら二冊の雑誌が。「宗教の雑誌ではないのですが、こんな特集が載っていたので…」といって手渡されたのは見慣れない月刊誌だった。よく見ると、“ナショナル ジオグラフィック日本版とあった。初めて手にする月刊誌だが、二冊の表紙はコンクラーベが開かれるシスティナ礼拝堂前に立つ教皇と聖母のご絵。それぞれに“教皇が挑むバチカン改革”、“聖母マリア‐世界で最もパワフルな女性‐”とあった。本類をもらうのは苦手なのだが、この時は、「帰りの高速船で読む」ことにした。
どちらも、週刊紙的な興味本位の軽さはなく、写真をふんだんに取り入れた25頁から23頁にわたる客観的な報告書という印象だった。教皇編の最後の記事に思わず「へー」と破顔一笑。ブエノスアイレスの大司教は教皇の友人。久しぶりの再会に教皇は笑顔で迎えた。そんな教皇の姿に大司教が、「むっつり屋だったあなたが微笑んでいるのを見て驚いた」と言った。すると、「いつものように、相手の言葉を深く噛みしめてから、こう答えた」(著者)。「教皇になってから、毎日がとっても楽しくてね」。
誰もが認める世界の教皇なのだから誰もが敬服して、「さすが、やっぱり」ということになると思うが、もしボクが、「司教になってから、毎日がとっても楽しくてね」と言ったら、あの韓国のご婦人はじめ、誰もが「軽い人だな」と思うに違いない。間違っても、「楽しい」などと言うまい。
久しぶりの室内ランで快汗。
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