8月10日、心配された台風の影響も鹿児島、福岡は僅少。従って、定刻通り午後12:15仁川空港着。そして、出迎えのビアンネとフランシスコとの無事の再開。
早速、一晩の投宿先である空港近くのビアンネ神学生宅へ。母上との再会は4年振り?小一時間の休息とお茶の後、身軽になって再び空港へ。日本からの参加者とも合流。
ウォンジュ、ソウル、スウォン教区の3教区に分かれてのホームステイとなるため、各教区から派遣された迎えの若者や司祭シスターたちとの合流、参加者確認が落着するまでかなりの時間を要した。「これからホームステイに向かいますが、私たちの文化はこの国から百済を通ってもたらされたもので、みなさんは、いわば、私たちの遠い祖先とも言うべき人々の末えいと出会うわけです。そんなことも心の何処かに置きながら実りある交流ができるよう祈ります。13日(開会式ミサ)に会いましょう。」そんな挨拶をしてみんなと分かれた。
6時過ぎ帰着。すでにボニファチオ司教さんとお供の司祭や姉上の家族が、母上手作りのごちそう満載の食卓を前に文字通り人待ち顔。飲酒の習慣のない親子の渾身の接待は酒っけなし。それでも、母上自慢のカルビーに舌鼓を打ちながらの楽しい会話とともに時間はあっという間に過ぎ、8時半記念撮影をもってお開きとなった。
それにしても、仁川教区の隆盛には目を見張った。看護大学の移転新築で資金繰りに頭が痛いのは分かるとしても、学生数1万人の国立大学を買収したという話には我が耳を疑った。「大きな病院を二つも持っているものだから医学部が必要だった」というのが理由。日本の国立大学の大学機構とか何とかいうのではなく、文字通りの民営化。徹底さが違う。
そういえば、1988年だったか、ヨハネパウロ二世が来られた時、100万人ほどが集まったヨイド広場は、巨大デモ防止のためという理由で公園に。良し悪しはともかくとして、気持ちいいほどの思い切りのよさ。我が国も少しは学んでもいいかも。と思った。
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