和気あいあい
夫婦3組に若手司祭2人、それにチーム(3組の夫婦と1司祭)と支えの夫婦たちが、15日(日)夕方、涼しいマリア山荘に集まった。2年ぶりのMEのためだ。夫婦達の年齢はかなり高かったので拒否反応が懸念されたがまったくの杞憂だった。驚いたのは、「次回も参加したい」 と2日目の午後に早くも嬉しい感想が聞かれたことだ。しかも二組も!チーム一同歓喜したことは言うまでもない。2組もの参加者がこんなにも肯定的な感想を述べるのは20数年にわたるチーム司祭歴では皆無。「ワシは帰る!」始まったばかりの声高の拒絶反応に肝をつぶしたこともある。そういう意味では、初日はチームにとってもハラハラの緊張感に包まれるのが普通だ。今回は文字通り和気あいあい。
希望の星たち
もう一つ、司祭が2人も参加したというのも、確証はないが日本のME始まって以来の慶事かと。少なくとも九州では初。司祭の参加がどうして慶事かというと単に若いからというだけでなく、近い将来の有力なチーム司祭候補だからだ。いつかのアジア会議で、毎年のように顔を合わすスリランカの奥さんから「司教さんも永いね」と言われたことがあるが、ついに他国からまで「日本の人材不足を指摘されたか」と焦りが募った記憶がある。そういうこともあって司祭の参加はME日本の悲願だった。もっとも、三重県では若手チーム司祭が誕生しているが、宣教会のためいつ海外転勤になるか分からない不安がある。
奮闘!宮崎コミュニティー
ともあれ、今回のMEの特徴はもう一つある。ME開催の条件は「支えチーム」の存在。私たちは、参加者とプログラムの運営に携わるチームの食事当番のことを「支え」と呼んでいる。その重要な裏方さんを引き受けたのが未経験の宮崎コミュニティーの夫婦たち。従来は鹿児島が主力だったが今回は逆転。3組の夫婦たちが入れ代わり立ち代わり支えに来てくれた。鹿児島からの支えと共にメンバー所有の山の家に宿泊しながら片道40分ほどを往復した。2泊3日の食事はいずれも手作り。ジャガイモにキュウリ、スイカなどの食材も。参加者たちが食事にも大満足したことは言うまでもない。
大往生
明けての今日、あの憧れの日野原先生が亡くなられた。105歳。100才の時、「あと10年は生きない」と言われたそうだが5年早かった。新老人の会を立ち上げたりミュージカルを制作されたり、神さまから頂いたタレントを最大限に開花させての大往生に喝采。安らかに憩われますように。
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