ワクワク

轟木教会 - 100歳近いお年寄りが二人も現役信者。小ぶりながら教会の建物も立派だが中身も立派だった。講師の話は、慣れないせいかついていくのに苦労した。ともあれ、今年秋のシノドス(世界代表司教会議)に向けての昨年の臨時シノドスのまとめは興味深かった。まとめが、即本会議のたたき台になるのだという。

教皇の質素で弱い人々に寄り添う司牧姿勢は今や世界中に浸透し、いや世界中を席巻し、その一挙手一投足に注目が集まる。聖書本来のメッセージをそのまま生きようとするので、バチカンの奥に巣食うとされるこの世的な出世主義が教皇の容赦のない批判にさらされている。胸がすく思いだ。

話がそれたが、司祭大会最終日の“緊急着陸”説は、3日間のまとめをなすだけでなく、教皇の元における教会の今と未来の在り方を指し示すキーワード。

交流会 - 33年ぶりに司祭30数名が集ったとあって、徳之島の教会にとっては一大イベント。信徒持ち寄りの御馳走の素晴らしさが喜びの大きさを物語っていた。罪か罪でないか、赦されているかいないかという二者択一式の信仰では、救われない人々が多すぎる。何とかならないものかという思いはみんなにある。とくに、結婚生活の破綻が教会から離れる要因になっている例は多い。人間の弱さに起因するこうした現実は神の裁きの対象ではなくむしろ救いの対象。そんな難問になんとか風穴を開けられないか。

シノドスではこうしたデリケートな問題も討議する。教皇の寄り添う司牧的姿勢は世界から集まる代表司教たちの心を動かすに違いない。期待通りにいくとは限らないが、教会の中枢における刷新が始まることは間違いない。ともあれ、教会の歴史的夜明けが始まりつつある。

満月が昇るのを今か今かと待つ姿が“望”だと物の本にはある。今、まさにそんな心境だ。飛躍するが、希望なき明日を生きていた多くの旧約の人々が、救い主の到来に熱狂したメシアシンドロームが、この神なき日本と周辺に追いやられている人々を覆っているようで、なんだかワクワクだ。

“ママ、今は緊急着陸ということで…”この魔法の言葉が、あらゆる主義主張を無力にし、我が家の平和が波紋のように広がり、うねりとなってやがて世界のみんながハッピー。これこそ、神の国の到来。もっとも、緊急着陸で先送りにされた宿題は残るが…。

今日の理事会はちょっと疲れた。

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