新旧統合の町
2016年にできたという新しいホテルの名前はThe Buildingというそのまんまでも、外観は数百年の風情に風格はさすが永遠の都。中に入ると、「改装したのかな」と誰かが口にしたほどだ。部屋の照明は手をかざすとマークが現れ必要箇所にタッチ。WiFiは快適作動。新旧の統合も見事。明けての10日、巡礼の始まり。先ずは聖ペトロ大聖堂訪問。
巡礼の始まり
聖年の扉に始まってピエタ像の詳しい解説に聞き入った。特に、十字架から降ろされたイエス様を抱くマリアさまの左手はそっと伸べられたまま。「十字架の死は皆さんのため」という意味で、救いの普遍性が表現さていることに驚いた。実物にしろ写真にしろ何度も見たが初めて聞く解説だった。聖ペトロのお墓を覆う天蓋に立つ天使は普通の人の四倍もの大きさだと聞いて驚いた。
諸宗教感謝ミサ
今日のメインは、聖ペトロ大聖堂裏にあるバチカン行政庁(だったか)の聖家族小聖堂での感謝ミサ。小聖堂といっても日本からの巡礼団100人程ががゆっくり収まる石造りの威風堂々、円柱多用のロマネスク様式。大阪からの参加者のうち2人は浄土真宗のご住職というのも特筆すべきこと。諸宗教対話のメンバーで前田大司教さんと親しいとか。ミサ前「こちらのご住職の叔父さんが神父さんです」との紹介に一堂歓声と拍手。鹿児島での諸宗教懇和会の仲間のお坊さんが「バチカンに行ってみたい」と会議中に言われたことが蘇った。皆さんがフランシスコ教皇に親しみを感じるだけでなく世界平和のために尽くされる姿に「この方しかいない」と頼りにしているのは確か。
仁王像になった
お昼の後で、郊外の聖パウロ大聖堂訪問。正面の中庭に立つ聖パウロの苦悩に満ちたような厳しい表情が印象的。文字通り、東奔西走、最後は首をはねられた波乱万丈の「異邦人の使徒」らしい形相だ。劔で天を衝く姿には「片手にはコーラン、片手には劔」のマホメットを思わせて違和感がないでもないが、妥協を許さない一途さは十分感じた。もっとも、キリスト信者迫害に明け暮れたかつての自分を悔いている姿なのかもしれないが、仁王像を思わせて迫力十分。墓前でお祈り。ここで発掘された人骨は、炭素測定法によって、聖ペトロ同様本人のものとされている。奈良の大仏殿にも言えることだが、聖ペトロ大聖堂にしろパウロのものにしろ、こんなにも巨大な建造物を造った古代の人々の信仰というかエネルギーというか力には驚くばかりだ。
丘の上で
ホテルでしばらく休息した後、丘の上の見晴らしのいい丘の上のレストランで「列福感謝の夕べ」。ご婦人たちは晴れ着に着替え、駐バチカン大使も同席されたとあって司会の我らが事務局長の宮下神父さんも大張り切りの大宴会。ご馳走は素晴らしかったが、パスタのお昼といいボクには重たすぎた。10時半就寝。
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