今年の四旬節は帰省ラッシュならぬ帰天ラッシュ。天国のペトロも超多忙を極めたに違いない。

Srアウレリア逝く

多くのベトナム人シスターで若返った

多くのベトナム人シスターで若返った

3月5日の田辺神父さんを皮切りに19日の牧山神父さん、そして今日のシスターアウレリア。日本人だが、あえて修道名だけを記した。それはそうと、式中は別れの悲しさではなく、ベトナム人の若いシスターたちの姿に感動して胸が熱くなった。歩くのが不自由な高齢のスターに寄り添い、老人ホームに入所中のシスターの頬を伝う涙をそっと拭ってあげる。遠い故国の年老いた両親を思いながら、ここ鹿児島の森の中で日々こうして親子ほどもある年齢差の高齢のシスターたちのお世話をしているらしいことがうかがえて感動して胸が熱くなった。そういえば、観想修道会とは言えここは明るい。老老介護が特殊ではない日本の社会と大きく違うところだ。世代交代がしっかり実を結び、「いずれ私たちもこうしてもらえる」という安心感に満ちている。明るさの秘訣がここにあると思った。

修道名今昔

それぞれが感謝のうちに献花

それぞれが感謝のうちに献花

かつて、多くの女子修道会では本名ではなく修道名で呼んでいた。修道院に入るというのは「世間を捨てる」という意味合いが大きかったからだと思うが、公会議後、「世の中の人々と共に生きる」という視点が強調されるようになり、次第に本名で呼ぶようになった。それでも、今だに、若いころにおぼえた修道名で呼ぶ方がしっくりくるシスターたちがいる。話が少しずれたが、今日の観想修道院では、修道名で呼び合っている。具体的に世の中から離れた生活を選んでいるので、この人たちにこそそれがふさわしいと思っている。徹底した奉献生活。だから、シスターアウレリア。そういえば、弔電の中でも「アウレリア様…」という人が何人かいた。

献体

ここに帰るのは1年半後

ここに帰るのは1年半後

ところで、ミサ後、遺体は火葬場に運ばれるものと思っていたが病院だった。献体のためだ。そういえば、何年前だったか、もう一人のシスターの時もそうだった。見送った後、院長さんとそんなな話をしていたら、「私もそうですよ」と、さも当たり前のように言われた。隣にいたシスターもうなづいていたので、ここのシスターたちは全員そうなのかもしれない。死後も含めての徹底した奉献に脱帽。なるほど献体の献は奉献の献。脈絡なしに納得できた。「実は、ボクもそうなんです」と返したら「えっ、司教様も?」と驚いた。「司祭や司教が献体するはずがない」と言いたいのであるとしたらこれは偏見。ともあれ、徹底した奉献の美学。憧れない?

神父さん献体しない?

修道院入口のニラの花

修道院入口横のニラの花

ついでにひらめいた。「いつか司祭たちに献体の話をしてみよう。きっと面白い分かち合いができるはず。司祭生活も奉献生活の一種に違いないのだから、死後の心配などないはずではないか。たとえ1年半後(シスターの場合)だとしても戻るのだから。」シスターアウレリア、安らかに。アーメン。

説教音声

主の晩餐の夕べのミサ

 

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