教会の双璧をなす大聖人、聖ペトロと聖パウロのお祝い日に定例司祭会と記念ミサ

定例司祭集会

ほとんどの教区では毎月が当たり前だが、鹿児島教区は2カ月に1度、年6回の司祭集会を持つ。奄美を含む教区全域から終身助祭5名に司祭31名が集まった。欠席者9名のうち5名は病気のためだ。最近気になるのが司祭の病気と入院。高齢によるのは仕方ないとしても、司祭の健康管理は自覚頼みなので難しい。特に昨日の教区司祭会議は、教区のいわば屋台骨ともいえるベテラン4人が病欠。なんとも心もとない時間だった。それでも、鍋を囲んでの恒例の会食は楽しかった。

聖職者中心主義

子供たちが蒔いたひまわりに蝶が

子供たちが蒔いたひまわりに蝶が

今日の議題は一つ。「『聖職者中心の教会』をどう思いますか?」鹿児島教区だけがというわけではなく、「日本の教会は聖職者中心主義で、なんでも司祭ががんばるので信者は受け身」という指摘が信者からなされたことがきっかけとなって今日の議題となった。「司祭が代わるたびに小教区の雰囲気が変わり、これまで築かれてきた宣教プランが全く無視されることがしばしば。なぜそうなるのか?答えは一つ。司祭のこだわり。それこそが、聖職者中心主義だ。」「司祭が中心になるのと司祭中心主義になるのとは違う」という発言もなされ、「司祭が信徒とよく話し合い、理解し合って共に歩もうとすることが大切。わたしはそうしている。ほかの司祭たちもそうしていると思う。」助祭も司祭も外国籍のいかんを問わず多くの発言がなされたのはいいことだった。「小グループでの分かち合いをしたかった」という助祭の提案に頷いた。11時40分信徒と共にミサ。

説教音声

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