引退したらどこに住んで何をするのか皆さんの疑問にお答えしたい

怒涛の一週間

大阪司教叙階式で投宿したホテルから

大阪司教叙階式で投宿したホテルから

「フランシスコ教皇はあなたの引退願いを受理されました。後任が決まるまでは従来通り勤めてください。」そんな返事が届いてから1ヶ月たった頃、駐日大使館から届いた親展の印が押された手紙に歓喜した。はやる心を抑えて急いで封を切った。案の定、待ちに待った後任決定の通知だった。直後のブイジュ祭、司教総会、徳之島、M E鹿児島集会、そして大阪での叙階式と、引退決定の余韻に浸る間も無く怒涛の1週間が過ぎた。

デミオ一台で

一息ついたところで待ち受けているのは旧司教館への引越しだ。市内だけに時間をみては少しずつ運び込めば済むことなので気は楽だ。問題は、12年間にたまった本や衣類、贈答品の整理。ワールドユースデーで貰い受けた祭服類もおびただしい。これまで、たくさんの贈呈本や季節の衣類は、大阪の旅路の里やふるさとの家に送っていたので、かなり身軽になっているつもりだが、この際、さらに身軽さを推進したい。1997年故郷奄美への転勤は、250ccのバイクを乗せた軽トラック一台で済ました。今回は、その記録を更新したいと思っているが、美島神父さんの遺産マツダデミオ一台ではさすがに無理。何回か往復することになるが、理想はあくまでデミオ一台。いずれにしても、丸めた頭のように、バッサリ処分することで「身一つ」という美学の完成度を高めたいとは思っている。

 

帰りの飛行機は雲の下

帰りの飛行機は雲の下

ところで、引退と聞いていろいろな疑問が交錯していることが分かった。「司祭職も辞めるのですか」「どこに住むんですか」1番多かったのは「何をするのか」だった。「田舎でのんびり百姓でもやります」と言いたいところだが、ボクがキリストから頂いた司祭職は永遠の司祭職。したがって、司教としての奉仕職を行使する任は解かれても、司祭職の充満と言われる司教というステイタスは永遠。だから、引退したからといって、ただの郡山さんに戻るわけではない。で、郡山さんと呼んでもいいのだが、これまで通り、 司教さんでいい。ともあれ、10月8日(体育の日)の叙階式をもって新旧交代が成立する。お祈りください。

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