素顔がみえた
「私たちもアマナミンを歌いたい。」このところ、主日のミサで主の祈りをタガログ、ベトナム、日本語の順で歌うことにしている。フィリピンの主の祈りは沢山のメロディーがあって、個人的には30年ほど前の古い曲が大好き。2週間前、「古いのにしてほしい」とお願いしたら、先週は懐かしいアマナミンを一緒に歌うことができた。それで「私たちも」ということになった。カタカナの歌詞を20枚ほど配布したが、いつものリーダーがお休みで不発。しかも、ベトナムの若い人たちも全員不参加。少し寂しかったが、日本語だけの主の祈りとなった。3人のフィリピン人を除いて全員地元信者。毎朝のミサに来る7人+4=11だった。あと、ボクの方で、間違いなく教会につながっていると確認できるひとが5人で合計16人。思いがけずも、指宿教会の素顔が見えた感じだ。中には、JRとタクシーで駆けつける熱心党もいるので「少ない」と嘆くことはしない。「家庭的な教会の味を大事にしていきたい」と思った。
ミサ説教音声
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