若者たちへ
一つ上に移動シャイ君のこと
シャイ君と気軽に名を読んでも、実は面識はない。実は、弟のように可愛がっているバギオのピーターから時々”いいお話”が送られてくるのだ。9月8日の愛の聖母園中高生の一日黙想会を頼まれていたので
月末の出張その他を考慮して暇な時に準備しておこうとけなげな心構え。ふと、ピーターからの”いいお話”を思い出したので、二つほど日本語にしてみた。使えそう!なので、ほんの少し紹介したい。
シャイ君は知的、身体的障がい児。ある日シャイ君はお父さんと公園を散歩していました。見ると、シャイ君の友達が野球に興じていました。シャイ君はお父さんに聞きました。
- 僕も仲間に入れてくれると思う?
お父さんは、それほど期待もしないで一人の少年に聞きました。でも、もし仲間に入れてもらえるなら、ウチの息子にとって必要とされているという強い仲間意識を与えてくれることになるに違いないのだが・・・。ところが、答えはOKでした。
- 今8回の裏で6点もリードされているんです。9回の裏には打順が回ってくると思うよ。
何とか三点差まで迫いついて、いよいよ9回の裏。しかもツーアウト満塁。しかも打順はシャイ君。お父さんは思いました。いくらなんでもこんな大事な時にシャイを出すことはないだろうな・・・。(中略)
しかし、シャイ君がバッターボックスに立つとピッチャーは数歩前によってゆるいボールを投げてくれたのです。バットの握り方も知らないシャイ君に打てるわけがありません。第二球目、ピッチャーは更にあと数歩前進して投げました。ゆるいゴロがピッチャーの右に転がってきました。ああ、これで試合終了!ところがピッチャーはファーストの頭上高く拾ったボールを投げたのです。両チームからは大きな声援が飛び交いました。
- シャイ、ファーストに走れ!ファーストに走れ!
続く。しかし、ここでクウェスションです。
- ピッチャーはどうしてわざと暴投したのでしょうか?
中高生への第一の質問です。簡単なようですが・・・。
*写真と本文は直接関係ありません。
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シャイ君PartⅡ
今日は丸一日、11名の中高生とシャイ君のお話を巡って一日黙想会。8月17日に紹介したシャイ君のお話の続きを紹介しよう。
「シャイ、一塁に走れ!一塁に走れ!」
シャイはこれまでこんなに遠くまで走ったことがありませんでしたが、何とか一塁に立ちました。彼は、われながらビックリしてベースラインに転がり込みました。
「二塁に走れ!二塁に走れ!」みんなが叫びました。
シャイは一息入れるとヨタヨタと二塁を目指しました。そして、なんとかベースにたどり着こうと必死に急ぎました。ところが、シャイが二塁にたどり着く頃には、ライトの選手がボールに追いついていました。今やチームのヒーローになるチャンスを手にしているかと思えた一番背の低いこの選手、二塁に投げてタッチアウトを取れたはずなのに、ピッチャーの意図が分かっていたので、わざとボールを三塁の頭上高くに投げたのでした。シャイは、前の選手がホームベースに向かって回ったのを見て無我夢中で三塁に向かいました。もう、全員が叫んでいました。
「シャイ!シャイ!シャイ!もっと行けもっと行け!シャイ!」
シャイが三塁に立てたのは相手チームのショートが、三塁方向に向って一緒に走り、「三塁に向かえ、シャイ、三塁に!」と叫んでくれたからでした。
シャイが三塁を回った時、両チームの選手と、観客は総立ちになって叫んだのです。
「シャイ、ホームだ!ホームだ!」
シャイはホームに向かって走りに走って、ホームベースを踏みました。そして、まるで満塁ホームランを放ってチームに勝利をもたらしたヒーローのように歓喜したのでした。
この話を終えた父親は、
「あの日」とそっと顔を伏せ涙ながらに言いました。
「あの日、助けてくれた両チームの少年たちが本当の愛と人間らしさの一つの姿を私たちに見せてくれているのです。」
シャイは、次の夏を迎えることはありませんでした。その冬に亡くなったのです。ヒーローになって父親をあんなにも喜ばせたこと、家に帰り、涙ながらにその日の小さなヒーローを抱きしめた母親に会ったことなど決して忘れることはありません。
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Re:シャイ君PartⅡ
国は違っても、心に響く話はちゃんと分かるんですね。
少し安心しました。
Re:シャイ君PartⅡ
いつもコメント有り難うございます。
このページでも「いいお話し」を時々紹介したいと思います。
フィリピン人の友人からよく届くのです。
二人目の希望の星
昨日は思いがけない甥からの電話で「主よ有り難うございます」を連発したが、今日はそのパートツー。「若者が会いたいと見えています。」「サテ、若者?もうチョイで終わるんだがなあ・・・。」
老人ホームのおばあちゃんとの文通。かれこれ一年になる。いつものように、長ーい手紙に短いはがきでの返事。それも後一行というところでの呼び出し。しかし、「若者」と聞けばやりかけでも未練はない?
「おータダシ君!」幼稚園の頃のままの明るいくりくり目。演劇をやっていたというだけあって、笑顔の美しい好青年になっていて嬉しかった。演劇への原体験が幼稚園の「聖劇」だったとは!今は、学生の身だが、演劇の世界で大きく成長させて貰ったのだから「軸はぶれていません。将来も・・・。」ナント素敵な若者になったことか!両親のいいところだけを受け継いだかのよう。座長もこんな若者だったら鍛え甲斐があったに違いない。つい嬉しくなって一時間以上も。昨日に続いてのクオリテイータイム(良質のひととき)。
帰る前にきっと挨拶に来る。そんな予感の中で、下心も。教会の話し?無神論の世界に聳えるあの聖堂のように、真実なるお方を目指して欲しい。自然の素材の捧げもののようにありのままの姿が更に輝いて欲しい。
帰国以来二度目のランは「前半青菜に塩。後半無限大。」ま、期待に反して絶好調という意味。
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出会いの日
北は北海道から南は奄美に至る日本列島各地から98名の参加者で鹿児島市南の郊外、山あいのセミナーハウスが若者や司祭司教で賑わった。仙台からは車でやって来た初参加の仲間たちも。
全国カトリック青年連絡協議会(任意加入)主催のこうした集まりは9月と二月の年二回、7年ほど前から開かれているという。今回のテーマは”ひろげもんそ”(広げましょう)。まさに若者の若者による若者のための集い。昨年マレーシアでの青少年担当者研修会で強調されて”Youth to Youth"を地で行く若者たちがいたことは心強く、教会の今と将来に希望を感じることが出来た。
ホスト役を務めた鹿児島の青年たちに心からご苦労様を言いたい。そのうち何らかの形で労ねぎらってあげたい。
*その他の写真はそのうちアルバムで公開したい。
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Re:出会いの日
シドニーよもう一度
クレジットカード会社から「ご利用明細」が届いた。まず合計金額にため息。毎回出費が多いなあと思いつつ明細を仔細に眺めて驚いた。
シドニーでの食事の料金があまりにも割安だったからだ。投宿したホテルの隣にあったすし屋の金額に思わず「ヘーッ!」二人で、いくつも注文し、日本酒もお変わりし、十分満足して4362円。二日後の欄には2883円。確かに品数は前回に比べて少なかったとは思うが。それにしても、日本よりよほど安い?
昨日届いたアジアフォーカス(英字週刊紙)にシンガポールの青年がWYDでの体験談を寄せていた。教皇上陸の17日が彼にとってどんな日だったかが記されていて、タイトルは「私たちはイエスに会いに来た」。いい話なので大意紹介したい。
楽しみにしていたその日は彼にとって散々な一日だったらしい。そもそも朝のカテケージスが前日に比べてつまらなく、楽しみのお昼も缶詰ものばかりで・・・。もともと内気な彼は、どうせ週末にはまた教皇に会えるからと、みんなから離れたところで独りになりこれまでのことなど振り返ってみたいと思って電車に乗って出かけた。しかし、行った先で事務局から配布されたスカーフや巡礼と典礼の手引書をなくしてしまった。夕方町に帰りお勧めのカフェを探していったら閉店。さらに、楽しみにしていた講演の場所が変更になっていて、あわてて新しい会場に着いたときはすでに一杯で入れてもらえず、踏んだりけったり。しかし、それまで気がつかなかったのだが、すぐ側では聖体礼拝やゆるしの秘蹟が行われているところだった。「どうせなら、数分でも入ってみるか」と大きなホールに入った。そっとご聖体の前にひざまずいた。すると、一日の溜まりに溜まったものがスーッと抜けていくようだった。やがて暖かい涙が頬を伝わり、全身洗われるような気持ちに包まれた。同時にみんなから離れて、あっちこっちと自分の安住を求めてせわしく動き回った一日のことが思われ、WYDに来た理由をすっかり忘れていたことに気がついたのだった。つい数日前に始めた巡礼は、「私たちはイエスに会うためにシンガポールから来ました」が合言葉だったというのに。そして、分かった。散々な一日なんかでなかったのだ。自分が神様を体験できたらいいのにと望まなかっただけだったんだと。いやもっと分かったことは、神様は私たちが苦しんでいるときも慰めてくださること、さらに私たちが苦しんでいる人を慰めるとき、私たちがその人々にとって神様をあらわしているのだと。だから7月17日は彼にとってWYD巡礼の中で最高の日となった。
ボクの元にもあちこちから「子供がWYDに行けたこととても喜んでいます」「聖霊を体験したそうです」などの感想が寄せられている。次回は20011年8月15-21の予定。スペイン・マドリッド。
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Re:シドニーよもう一度
ブログは毎日読ませていただいています。
前教皇ヨハネ・パウロ2世が来日されたのが1981年でした。私は当時大学2年生でした。教皇ミサが東京の後楽園球場であるとは聞いていたのですが,まったくお金がない大学生でしたので,東京に行くなんて考えもしませんでした。ところが,ある日,大学の指導司祭(アメリカ人)に呼ばれ,「東京の教皇ミサに行きなさい」と言われたのです。私が「神父様,そんなお金はありません。」と言うと,指導司祭は「ダイジョウブです。東京までは神学生と一緒に神学校のマイクバスに乗って行きなさい。帰りは神言会がお金を出してあげますから,新幹線で帰ってきなさい」と言われ,あの感動の教皇ミサにあずかることができたのです。余談ですが,その行きのバスには現在新潟司教である菊池さんも神学生として乗っておられたはずです。
さて,WYDですが,当時はまだそんなものはありませんでした。WYDが始まった頃,私は一応まだ参加できる年齢だったのですが,若手の教師ということで時間もお金もありませんでした。当然,参加なんかできるはずもありません。ですから,WYDに参加できた若者の話を聞くとただただうらやましく,年甲斐もなく複雑な気持ちになってしまいます。若いうちに教皇の話を直接聞き,世界の兄弟姉妹と御言葉の若い血合いをし,精霊の働きを感じてこられるのは一生の宝物になるからです。
自分がWYDに参加できなかったからではありませんが,私は仕事に慣れ,お金もある程度自由になるようになった30代の初めからヨーロッパの中心に巡礼を始めました。これは現在でも年に2回の割合で続けています。巡礼と言っても観光に毛が生えたようなものですが,それでも多くの教会をたずね,ミサに参加するのは実にすばらしい体験です。しかし,それでもやはりWYDに参加したかった…心からそう思います。
Re:シドニーよもう一度
ブログは毎日読ませていただいています。
前教皇ヨハネ・パウロ2世が来日されたのが1981年でした。私は当時大学2年生でした。教皇ミサが東京の後楽園球場であるとは聞いていたのですが,まったくお金がない大学生でしたので,東京に行くなんて考えもしませんでした。ところが,ある日,大学の指導司祭(アメリカ人)に呼ばれ,「東京の教皇ミサに行きなさい」と言われたのです。私が「神父様,そんなお金はありません。」と言うと,指導司祭は「ダイジョウブです。東京までは神学生と一緒に神学校のマイクバスに乗って行きなさい。帰りは神言会がお金を出してあげますから,新幹線で帰ってきなさい」と言われ,あの感動の教皇ミサにあずかることができたのです。余談ですが,その行きのバスには現在新潟司教である菊池さんも神学生として乗っておられたはずです。
さて,WYDですが,当時はまだそんなものはありませんでした。WYDが始まった頃,私は一応まだ参加できる年齢だったのですが,若手の教師ということで時間もお金もありませんでした。当然,参加なんかできるはずもありません。ですから,WYDに参加できた若者の話を聞くとただただうらやましく,年甲斐もなく複雑な気持ちになってしまいます。若いうちに教皇の話を直接聞き,世界の兄弟姉妹と御言葉の若い血合いをし,精霊の働きを感じてこられるのは一生の宝物になるからです。
自分がWYDに参加できなかったからではありませんが,私は仕事に慣れ,お金もある程度自由になるようになった30代の初めからヨーロッパの中心に巡礼を始めました。これは現在でも年に2回の割合で続けています。巡礼と言っても観光に毛が生えたようなものですが,それでも多くの教会をたずね,ミサに参加するのは実にすばらしい体験です。しかし,それでもやはりWYDに参加したかった…心からそう思います。
Re:シドニーよもう一度
ブログは毎日読ませていただいています。
前教皇ヨハネ・パウロ2世が来日されたのが1981年でした。私は当時大学2年生でした。教皇ミサが東京の後楽園球場であるとは聞いていたのですが,まったくお金がない大学生でしたので,東京に行くなんて考えもしませんでした。ところが,ある日,大学の指導司祭(アメリカ人)に呼ばれ,「東京の教皇ミサに行きなさい」と言われたのです。私が「神父様,そんなお金はありません。」と言うと,指導司祭は「ダイジョウブです。東京までは神学生と一緒に神学校のマイクバスに乗って行きなさい。帰りは神言会がお金を出してあげますから,新幹線で帰ってきなさい」と言われ,あの感動の教皇ミサにあずかることができたのです。余談ですが,その行きのバスには現在新潟司教である菊池さんも神学生として乗っておられたはずです。
さて,WYDですが,当時はまだそんなものはありませんでした。WYDが始まった頃,私は一応まだ参加できる年齢だったのですが,若手の教師ということで時間もお金もありませんでした。当然,参加なんかできるはずもありません。ですから,WYDに参加できた若者の話を聞くとただただうらやましく,年甲斐もなく複雑な気持ちになってしまいます。若いうちに教皇の話を直接聞き,世界の兄弟姉妹と御言葉の若い血合いをし,精霊の働きを感じてこられるのは一生の宝物になるからです。
自分がWYDに参加できなかったからではありませんが,私は仕事に慣れ,お金もある程度自由になるようになった30代の初めからヨーロッパの中心に巡礼を始めました。これは現在でも年に2回の割合で続けています。巡礼と言っても観光に毛が生えたようなものですが,それでも多くの教会をたずね,ミサに参加するのは実にすばらしい体験です。しかし,それでもやはりWYDに参加したかった…心からそう思います。
Re:シドニーよもう一度
毎日ブログを読んでくれてありがとうございます。
最近は毎日書けない日が多いのですが、たわいもない記事を読んでくれてうれしいです。
すべてには時があるので、WYDに参加できなかったのも時でなかった、つまり、貴殿には別の時が用意されていたということでしょうかね。神様の計らってくださる時はなかなか奥が深いので戸惑うことは多いのですが・・・。
それでも、充実した日々をお過ごしのようで何よりです。
この年で出会い系?
最近楽しい伝播力に圧倒されている。今どきのフェイスブック。
売り込みの文句は「友達や同僚、同級生、仲間たちとつながりを深められます。」
ワールドユースデー担当ということで始めることになった。手続きを済ますと、運営する側からすかさずメールが届いて「知り合いかも?」見るとマニラの貴島君!そんなメールを本人は知らないというから驚く。なにがどうなってそんなマジックみたいなことができるのか驚くばかりだ。なんとなくおせっかいな感じもするのだが・・・。
お陰でスペインの園田神学生とも「お友だち」になれた。遠足に行ったときの写真を100枚以上も公開していてスペインでの生活をエンジョイしていることが手に取るように分かって安心した。昨年よりもたくましさが増しグンと大人らしくなっている。
からくりは分からないとしても平たく言えばお友達紹介所がネット上でなされているということらしい。しかしその伝播力には目を見張るものがある。次から次と増殖していくのはまるでアメーバー。毎日のように「○○さんから友だちリクエストが届いています」というメールが入る。全く知らない人もいれば思わず返事したくなる人もいる。2人の神学生がそうだ。旧知の信者さんだったりする。四條助祭さんとはもちろんお友達。
「Kenjiroさん、友達が待ってます。あなたの友達はFacebookの知り合い検索を使って23人以上の友達を見つけました。あなたも試してみて!」この年で出会い系でもなかろうに。そこまでおせっかいを焼かないで欲しいのだが・・・。
いずれにしても、海を越え、性別を超え、そして年を越えて若者に出会わせてくれるから結構使えるかも。
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Re:この年で出会い系?
お友達のjunyaです。僕もfacebookを始めました。遠く離れた息子たちといつでも繋がっているのは嬉しいです。一度にたくさんの写真が共有できるのも利点です。さらにネットで宣教ができれば幸いです。お友達になるのは一度お会いした人に限ります。
Re:この年で出会い系?
コメントのことは分かっていましたが
FaceBookの対応に追われて?今になりました。
スペインの神学生ともお友だちになってくださいね。
時々励ましてあげてください。
サンチャゴの夜
鹿児島の参加者からのメッセージを送ります。
今回のWYDで私たちは鹿児島の守護者聖フランシスコ・ザビエルの故郷であるスペインに来ました。そして、サンチャゴへの巡礼に参加し、日本だけでなく色々な国の青年やそれ以外の人々と出会うことができました。100キロという長い道のりを歩き、人々を通し、辛く苦しいときでも、主イエスに見守られていることを感じることができました。また、日本で味わったことのない神秘的な雰囲気の中で祈ることができたことも感謝いたします。この巡礼で感じた感謝と心の平安を聖フランシスコ・ザビエルのように熱き想いで周りの人々、そして世界に広げ、全ての人々に平和が訪れるようにお祈りいたします。*鹿児島教区WYD参加者一同。
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Re:サンチャゴの夜
16日からのWYD本大会も実り豊かな体験でありますように、たくさんの神様の愛に触れることができますように続けてお祈りしています。最後までがんばってください。
今日は、聖母の被昇天祭です。私たちの小教区は、夕方からミサです。マリア様のご保護がひとりひとりにそそがれますように特別にお祈りいたします。
WYD本大会開会
15日聖母の被昇天。メルセス修道院でのミサ後11:00ちょうどにマドリドに出発。9時間半後の8時半ドミニコ会の元神学校に到着。
10:00ごろB日程の参加者も次々到着。我が、鹿児島組6名も。翌16日午前10:00日本巡礼団結団式。A日程参加者には二回目となる「猛獣狩りに行こうよ」の歌にあわせた自己紹介ゲーム。140名から一気に330名と2倍以上の大所帯に。宿舎に帰るともう3時半。洗濯をしたりメールチェックの後で8:00の開会ミサへ。
司教専用のバスには3名の白バイ隊の護衛つき。信号が赤でもサイレンを鳴らして信号無視。バスは止まらない。スペイン政府は同性愛の結婚を認めたり反カトリックだが、マドリッド市は全面支援。市内の交通手段はいづれも無料パスが配布され、レストランも無料クーポンで食事ができる。しかし、シベレス広場でのミサのチェックは厳しかった。身分証明証が未発行のボクと他2人は門外へ。すったもんだの挙句現地の大司教さんの直訴で無事祭壇に上がることができた。
午後8:00開式とはいえまだ日は高く西日の直撃下でのミサは辛かった。幸い2人1本のわりで日傘の配布はありがたかった。それにしても、大司教さんの説教は終始スペイン語。分からないだけに長かった!それでも、合いの手を入れるように拍手と歓声。これは日本では決して体験できない主司式司祭と会衆の人間味溢れるミサ中の掛け合い交流。微笑ましいというか羨ましい?
宿舎に帰ったのは11:00。それでボクには遅すぎる夕食をとって12:30就寝。17日、いよいよ鹿児島教区担当のカテケージス。青年たちによるクイズ。それに、レオ七右衛門の朗読劇。感動のあまり涙する参加者も。わずか10分という持ち時間でよくまとめてくれた。鹿児島の若者を誇りに思った。ほめてやったら、「帰ったらご馳走してね」だって!もちろん!
昼食後、若者たちは班ごとにさまざまなワークショプや美術館その他へ。司教団は4:45、マドリッド大司教招待コンサートへ。国立音楽堂での本格的なコンサートは初体験。2時間はまさにプライムタイム。その後、郊外の何とかメッセ(国際商品展示会場)で夕食会。約1000名?久しぶりのワインに満足。それにしても今回のWYDはタイヘン忙しい。
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Re:シャイ君のこと
やれ偏差値だ、受験だ、金メダルだ、勝ち組だ・・・競争社会で
他人を出し抜いて、勝つことだけに人生の意義を求めさせられた
日本では考えられない良い話ですね。