小学校唱歌

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ジンルン教会内部。祭壇の真後ろにみ言葉の食卓がある。2日目は、高雄をさらに南下すること1時間余り、尻尾の付け根のあたりを左折して横断。目的地、曾司教様の教区である東側の台東県へ。やはり1時間あまり走ったところで、手はず通り曾司教様と落ち合い、ミサのためジンルン教会へ。

なるほど、西側に比山。「生活も厳しく、若者は台北などの都会に行くので子供と高齢者ばかり」とは信徒の話。 この地域の人々は日本語をよく話すプユマ族で主任司祭は台湾在住40年になる「台湾大好き」アメリカ人。

27年前に献堂したという聖堂は祭壇を中央に据えた。中央左右にはプユマの民族衣装を着た等身大のマリア様とヨセフ様。壁には天地創造と部族誕生の神話が描かれていた。原住民の教会は地元の豊年祭にも積極的に参加する地元密着型。週三回のデイサービスで習ったという高齢者のモダンダンスには驚いた。こちらからはアーメンハレルヤでお返し。

次の訪問地ツービエンは曾司教様が主任司祭時代にてたもの。部族の民家をイメージしたもので、地域で取れる平べったい石が多用されていて、信徒たちが持ち寄ったもの。献堂直後に司教に任命されたという。

3時過ぎにはホテル着。農協経営の温泉宿。といっても、屋内屋外いずれも水着に帽子着用。とくに屋外はプールになっていてかなり高温の温泉が湧いている。監視も厳しく露天風呂を楽しむ雰囲気ではなかった。

昔をしのびながらの聖体訪問。後ろ姿は曾司教様。夕食は各教会代表の信者さんたちとホテルのレストランの一室で貸し切りパーティー。プユマの人たちは”花輪の民”と言われるそうで祝い事には男女が花冠をつけるのだという。巡礼者全員に生花でできた花冠がプレゼントされた。

食事がひと段落したところで歌のプレゼント。ほとんどは日本統治下で教えられた学校唱歌。”お月様えーらいな 真ん丸月になったり 三日月になったり 春夏秋冬 日本中を てーらす”。60年ぶり?に聞くので、正確に復唱できないが、”ニッポンジューをテーラス”には思わず「ウッ!」ときてしまった。(つづく)

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