絶えざる御助の聖母を世界に告げ知らせよう

会場の薩来園の多目的ホール恒例の北薩信徒大会、従来は北薩の5小教区が持ち回りで開催してきたが、今年からは谷山教会が加わることに。今後は、「レデンプトール地区信徒大会」となるのかもしれない。

ともあれ、レデンプトール会はドイツとカナダの管区が合併して日本管区となったため、東京在住の管区長さんも出席。今年のもう一つの特徴は、今年が、「絶えざる御助の聖母画授与150周年」に当たるとしていつくしみのイコンの解説がなされたこと。レデンプトール会担当の教会にはどこでもこの御絵をを見るので、会独自の信心があるのだろうとは思っていたが、「この御絵を世界に広めるように」との使命を受けていると知ったのは最近のことだ。今回の解説で細部にわたる意味を知ってご絵が身近に感じられるようになった。絵の由来は1854年にもさかのぼる。1854年といえば、教皇ピオ9世によって無原罪の教義が発表された年で、教皇は聖画の崇敬をも推奨されたという。

天国の部分が少しカットされた。失礼。ところで、この聖画の上半身は天国をイメージしているという。天使が二人描かれているのはそのため。しかし、よく見ると右側の天使は赤い服をまとい、しかも、十字架と釘の入ったかごを捧げている。もちろん、主の体をつけた十字架と打たれた釘。衣の赤は主が流された血の色。天国では、今もこの世で苦しむ人々のことが聖母の執成しに委ねられている。そういうわけで、苦しみの中にあっても天国への希望のうちに平和に生きてほしい。左の天使が身にまとっている緑色の衣がそのことを表している。聖母の手にある幼子の手に注目していただきたい。恐怖におののいてしがみついる印象ではでなく、聖母の大きな御手に委ねきっている穏やかさが感じられる。

以上は、解説を聞いて勝手に解釈したものなので正確ではないかもしれないがお許しいただきたい。なお、幼子の落ちかかっているサンダルの意味は複数の解釈があるらしい。聖書が二か所引用されたが、どんな意味だったか記憶にないので悪しからず。

聖母の右手に優しく重ねられた御子の両手何となくあわただしく帰路についたようで少し心残り。門の所で、帰る人たちを見送るならもっと皆さんとの親近感も増したに違いないのに。ま、次回の宿題にしよう。

あ、そうそう、故郷の五つの教会の空撮画像のコメント、撮影のご当人から使用許可願いが来ていると聞かされた。もちろん快諾したが、あちらでも観られるとしたら、かなり多くの人がわが故郷の空中散歩を楽しむことになるわけで「いいね!」。実は、奄美の全教会の空撮の計画があるという。さあ、頑張ってコメント書きをするゾ!

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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