一人一人は違う宗教を持っていても一人一人は同じ人間

異宗教平和巡礼

異宗教平和巡礼。親しくさせてもらっている曹洞宗の和尚さんからの提案だ。諸宗教懇和会のメンバーでもあるところから教会やお寺に神社と他宗教をめぐり平和を祈るという趣旨。素晴らしい提案だと思う。すぐに同感の声を上げた。実現すると嬉しい。とはいうものの、このところ、皆さんとの活動を共にできないことが多く、又そうならないかと多少不安がないわけではないが万難を排して実現参加に努めたい。

二人連れが開いた

実は、この提案、「キリスト教系の信者らしい中年の女性二人がお寺に来られた」のがきっかけになったらしかった。お寺にも信仰を勧める二人の志に感服された和尚さんは、二人を丁重にもてなそうと座禅に招かれたという。しかし、二人は「結構です」と断り、早々に帰ったのだという。

穏やかにもてなして平和

かつて小教区にいた頃、何度も訪ねてきた人たちと同門の信徒かと思うが、その時のボクの心境は和尚さんとはずいぶん違うものだった。「私たちもキリスト教です。私たちは間に合っています。見てください、お隣のマンション。キリスト信者はいないはずです。皆さんの働きで、一人でも多くの人がキリストに出会ったら世の中はもっと平和になるのですから、先ずあの人たちに勧めてください!」語気鋭く諭して引き取ってもらったものだ。しかも2回目だったのでチョットキレたわけ。その点、修行を積んだ和尚さんには敵わない。

和の道を行く

又横道にそれたが、そんなことがあって、和尚さんは熱い思いを巡らすことになり、今回の提案となった。「あちらが一番で自分の神様は二番なんて宗教はないでしょう。」しかし、「自分の神様が一番」という思いこそが実は、宗教戦争を生んでいるとも。その通り。だから、話ではなく、和。話は頭の問題なので決裂しやすい。しかし、「和は平和の和、和やかの和としての和に重要な意味があります」と説いておられる。和が輪を生んで世界が平和。

我(われ)を渡して和

話法があるとすれば、和法、つまり和を作る道もある。それが、神様や仏様に手を合わせる道。そして開封したフランシスコ会の機関誌にこうあった。「兄弟たちが、イエス・キリストとの個人的な関係を新たにするよう日々探究する修道会」。この個人的関係で心が整えられて私という個人が平和になる。どの宗教も同じ道を行く。ダジャレっぽいが「我(われ)を渡して和」。だから諸宗教懇和会。いいね。

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☆神に仕える身でありながら、カミガミ(紙々)の要らない世界を標榜する人間の一人として、電子メディアに自分の思いを綴ることは大きな喜びです☆本を書かない代わりにここでいろんなことを書いてみたい。

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