復活祭のあと、連日の出張から解放されたと思ったら、一息つく間もなく、司祭評議会に教区司祭会、そしてコンベンツゥス(司祭総会)。それなりに「有意義で、楽しい話し合い」(司祭の感想)の時ではあった。
明けての昨日、絵画展前の久しぶりの教室も息抜きにはなった。そして、明けての今日こそ予定なし。久しぶりに温泉にでも行こうかとのんびりした気分になって、これまた久しぶりの朝礼後の新聞タイム。先ず地元紙を広げて小一時間。そして、開いたカトリック新聞。聖香油ミサでの教皇の司祭たちへのメッセージに出端(ではな)をくじかれた。
「…休暇または静養のために『世俗的な趣味』に走ったり、事務室にこもったり、または、『着色ガラスのウインドウ』の車に乗ったりしてはいけない」(4月12日号)。
そんな派手な車に乗ることはないとしても、テレビに興じたり、温泉でリラックスしたりはする。いずれも世俗的趣味と言えばそうだが、テレビ漬けは問題だとしても温泉は大いにお勧めだと手放しで評価していたのだが。息抜きするにも、祈って識別しなければならない?
アド・リミナ前にこの話を聞いていたら、アノ時質問してたものを。「温泉も世俗的な趣味の一つでしょうか?」「温泉ってなんですか?」「温泉とは…疲労回復に…日本は温泉天国で…」温泉談義に花が咲いたりして、前代未聞のアド・リミナになっていたかもしれない。ま、そんな世俗的な謁見になろうはずもないのだが、ともあれ、今日は気が乗らないので温泉はヤメ。室内ランを7キロに上げるとしよう。えっ、それも世俗的?
郵便局の帰りに緑が増した聖書の植物の庭(別名マリア庭園)の「お呼びでない草」(雑草ともいう)を抜いた。約30分。これは、一日中やっても世俗的趣味とはならないという自信がある。聖なる庭だからだ。
それはそうと、「パパ様、『着色ガラスのウインドウ』の車に乗ったりする司祭がいるんですか?どんな車か見てみたいです。」
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